平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

沈黙、<言葉>としてのコトバ。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

コロナ禍で気鬱な気分を払拭すべく書き始めたこのブログも、いつしかすっかり放置してしまいました。前回の更新が2020年の8月なので4ヶ月ほどほったらかしだったことになります。なぜ書かなくなったのだろうと当時を振り返ってみても思い当たることがなく、不思議といつしか自然とブログから遠ざかっていたんですね。ちょうど秋学期が始まって、日常業務が増えて忙しくなったからというのもちろんあるんだろうけど、でも忙しくなればなるほどなにか書きたくなってくるのが書き手の性分だから、「時間的な忙しさ」はたぶん主因じゃないはずで、たぶん心の奥底では「書きたくない」という否定的な気持ちが横溢していたんだろうと思う。

新聞やウェブでの連載は続けていたからずっとなにも書いていなかったわけじゃないけど、思うままにつらつらと書くブログはほぼゼロ。なんでもいいから書けば気分が幾ばくか晴れることはわかっているのに書かなかった、書けなかった。そもそも書きたいという意欲が湧かず、むしろ「書きたくない」とさえ無意識的に思っていたように思う。

この背景にはなにがあるんだろうか。

自分のことなのに疑問形で問いかけるのは、やはり自分のなかには自身でも把握できない未知なる部分があるからだ。とくに「書く」という作業については不可解なことが多すぎる。一般的に「書く」という行為は、考えや思いを文字に変換すると理解されているけど、そんな単純にはいかない。頭に浮かんだ考えや思いを写し取るかのように言葉を重ねていく、つまり頭の中で論理構成してからそれを文章にするという継時的なプロセスではない。むしろ書きながらに自然と言葉が連なってゆくのが書き手としての実感だ。わずかに芽吹いたアイデアを頼りに書き進めることによって、徐々にかたちになる。だから、考えることと書くことはほぼイコールなのである。

気分が乗っているときは決して大げさではなくほぼ自動的に言葉が連なるから爽快である。書き出す前には想像にも及ばなかったアイデアが浮かぶこともある。そのひらめきを頼りに、いささか脱線に過ぎるかもしれないと思いつつも新アイデアに導かれるように書けば、そこには未知なる領野が広がっている。いつか読んだ本のフレーズや映画のワンシーンが浮かんだりする。これとあれがここでつながるのかという発見もある。だから「未知」といってもまったく知らなかったことではなくて、意識の奥底に沈殿していて忘れていたことが蘇ってくるような感じで、懐かしさにも似た感情がそこには付随する。すでに知っていたことをあらためて知り直すとでもいうのか、それが書くことのオモシロさを担保しているように思う。

ゾーンに入るとかフロー状態に入るとかというよりは、今やるべきこと、つまり書くことに、深く集中することで「忘れていた自分をふと思い出す」という程度の、息抜きにも似た放心状態なんだろうと思う。

たとえばスマフォを気にする日常生活では、意識を解放してただボーッとする時間は意識的に作らないといけない。あれだけスマフォに警戒心を抱いていた僕でも、最近では電車待ちや喫茶店で注文した料理が運ばれるわずかな間に気がつけばその画面を覗き込んでいたりする。そんな自分に気がついて、慌ててポケットに入れるも、またしばらくすれば同じようにスマフォを手にしている。ことほどさようにスマフォの誘惑は手強い。つまり僕の意識はたえずスマフォの誘惑に晒されていて、なにもせずただボーッとする時間は縮減する一方だ。

実は僕たちはこのただボーッとする時間に無意識的に考えていて、言葉になる前の無数の考えや思いが渦巻いているのだと思う。無為な時間の流れのなかであーだこーだと考えていて、それが積もり積もってやがて言葉として溢れ出す。言葉がこぼれ落ちそうだというこのシグナルを受け取って初めて僕たちはそれを表現したい、僕なら「書きたい」という意欲が湧く。マスメディアなど外部から到来する様々な情報も、このただボーッとする時間においていったん吟味され、自分というフィルターを通すことで徐々に整理されるんじゃないだろうか。

ここ半年を振り返ると、このただボーッとする時間が欠如していたように思う。なぜ欠如していたかといえば、スマフォの誘惑もそうだがやはりコロナ禍だろう。意識をどこに向けるわけでもなくただ放っておくことができない、いや、難しい。いやが応にも意識がとらわれてしまう。ありていにいえば神経症的な状態で日々を過ごさざるを得なかった。まるで真綿で締めつけられるように、じわじわと思考力が奪われていた。書くための源泉が潤わず、言葉で溢れそうになるどころか枯渇していた。

そういえば2011年に起きた東日本大震災のあと、詩人の谷川俊太郎は「沈黙」に耳を傾けることの大切さを語っていた。


「震災が原因で書けなくなったこと、書きたくなったこと、書かねばならないと思ったことはありません。<言葉を失った>という言葉が新聞、テレビなどのメディア上でしばしば見られましたが、本当に言葉を失ったのなら沈黙するかもっと寡黙になるはずなのに、目についたのむしろ過剰なまでの饒舌だったと私は感じています。」
「(…)ただ言わないこと、書かないこと、黙っていることまで<言葉>というコトバが含意しているとすれば、私の内部の沈黙は以前に比べて深まったように感じています。」


コロナ禍と震災を並列に考えることはできないにしても、未曾有の事態に遭遇した(している)という点では共通する。これまでの常識が通用しない場面で人は「沈黙」せざるを得ない。いつもなにかを捉えようとして意識が働き続ける日常では、黙るしかなくなる。でもそれは、今まで慣れ親しんだ語り口を手放し、<言葉>というコトバが深まっているのだというこの指摘は、今の僕にはとてもよくわかる。昨夏からずっと感じていた書きたくないという抵抗、つまり今は沈黙していたいという無意識的な欲求は、だから必然だったのではないかと今では思える。

年が明けてこうしてここで書きたくなったのは、沈黙を経たのちに訪れる新境地なのかもしれない。そう前向きに捉えて、また気が向いたときにここでツラツラと書いていこうと思う。




 

 

 

2020年8月18日。

先週末、8月13日から15日まで通信教育部で受け持つ科目のスクーリングを担当した。COVID-19の感染が拡大する昨今の情況にともない、通学部に続いてスクーリングもオンライン対応となった。受講生は女性がやや多めの21名。年齢は10代から50代までと幅広い。通学部の学生と比べると授業に向かう真剣さがまるで違い、zoomの画面を通してもそのまなざしから発せられる熱が伝わってくるほどだ。

通学部の学生には学生らしいゆるさがあり、それはそれでいい。その場にたゆたい、まだ将来像を明確に描けていないゆるさに染み入るようにと興味そのものを引き出すべく話をするのだが、通信教育部の受講生には当然これとは違った話し方になる。一字一句を聞き逃すまいとして、というのはやや誇張ではあるものの、それに近い構えで授業に臨んでくる受講生には、背筋を伸ばして立ち向かうようにありったけの知識を振り絞らなければならない。また積み重ねられた生活実感に厚みがあるため、それを踏まえつつの話は畢竟こちらの生活実感そのものをも差し出す必要性に迫られ、とくにテーマが健康であるからして身が切られるように感じることもままにある。今年もまた授業後の感想では、僕個人の経験談や他の受講生の発言が印象に残ると口にする人が多かった。

そんな濃密な授業が朝から夕方までを3日間。
終わると抜け殻のようになるのは毎年のことである。

日曜日をはさんで大学に出勤。今度は「採点の祭典」である。実技科目が秋に変更されたこともあり、コマ数自体は例年よりも減ったため総量は多くはない。だが、最終レポートだけでなく授業ごとに提出された小レポートの累積を点数化しなければならず、ここ2日間はそれにかかりっきりとなった。慣れないオンライン授業にエネルギーが切れたのか、講義も終盤にさしかかって課題が未提出の学生が数人いたが、ほとんどはこのコロナ禍によるオンライン対応の授業形態でもしっかりと学んでくれていたように見受けられる。

2020年度春学期の「採点の祭典」もなんとか無事に終えられそうでホッとしている。

数日前、複数の大学を掛け持ちしていた非常勤講師が過労のために倒れたというニュースをtwitterで読んだ。資料作りのために土日もほとんど休まず仕事をしていたようだ。大学を掛け持ちするというのは、それぞれの大学の方針に従わなければならず、資料を作るにしてもネット上にアップロードするにしても、各大学のやり方に合わせて行わなければならない。僕の知るところでは、オンライン授業の実施には各大学で方針が大きく異なっている。たとえば学生数の多いマンモス校とうちのような小規模校では、その方針が違って当然で、1クラス辺りの受講生の数によってそれぞれに適した形態がある。端的にいえば、zoomでのライブ講義と録画した講義をいつでも視聴できるようにするオンデマンド方式という違いがあり、それを鑑みての資料作りや授業作りで過労となったのだと思う。

過日、とある衆議院議員が、オンライン対応で先生は楽をしているのだから学費を減額すべき
という内容をtweetしていたが、学生を前にした教員が教育機会を確保し、その質を落とさないために日夜どれだけ努力しているのかをはたして知っているのだろうか。ほとんどの教員はこれまで対面での講義を主戦場にしてきただけに、不慣れなオンライン授業を行う上では確かに至らない点はあるはずだ。精一杯パソコンの画面をにらみつけながら資料を作っていた僕自身も、対面授業のときと比べて遜色ない教育を実践できたどうかと問われれば定かではない。振り返ると反省すべき点もある。だが、この教育現場の奮闘を知らずして瑕疵を責められる筋合いはない。すべからく教員とは児童、生徒、学生の教育に誠心誠意取り組むものだ。日本中、いや世界中の教員はこのコロナ禍において、与えられた持ち場で目の前の子どもたちの教育機会を大事にし、その質を高めるべく努力しているのである。それを忘れてもらっては困る。

僕としては、思いがけなくオンラインならではの教育的効果を実感することもあった。対面授業に勝るものはないと今でも思ってはいるが、オンラインだからこその効用もまた実感している。そのひとつに「1対1でのコミュニケーションの密度」がある。うちの大学はteamsとzoomの併用だったのだが、teamsのチャット機能を通じて対面のときよりも頻繁に学生とやりとりする機会が増えた。学生も、面と向かってだと話しにくいけれどチャットを通じてなら質問しやすいらしく、講義内容を踏まえた上での質の高い質問が散見された。僕の方はそのやりとりから学生自身の考えが把握できることで「顔」が明確に浮かぶ。大人数の対面講義ではかき消されがちな「個人」が、チャットを通じて不特定多数のなかから浮かび上がるのだ。直接やりとりをしたという手応えを学生も感じているらしく、やりとり以後その学生は目に見えて授業に積極的になった。

現状を憂いてばかりではダメで、見通しが立たない今の情況で何ができて何ができないのか、それをじっくり問いながら、秋以降もまた授業に向かおうと思う。

ひとまずこのコロナ禍におけるほぼ全面オンライン授業を終えたことをよろこびたい。全国の大学教員のみなさま、そして学生たち、お疲れさまでした。小学校から高校までは夏休みも短く、すでに2学期が始まっていると聞きます。先生方、そして児童、生徒のみなさん、ぼちぼちといきましょう。

2020年2020年7月30日(告知があります)。

この度の新型コロナウイルスの感染拡大にあたっては、世界中の人が震撼しています。もちろん僕も例外ではなく、生活を見直すとともに研究に向かう態度をあらためる必要に迫られて、小さくないストレスを抱えて日々を送っているのが正直なところです。

新型コロナウイルスに感染しない、他人に感染させないために行動の自粛が求められているのと同時に、社会経済活動も停滞させないように配慮しなければならない。二つのミッションの狭間で取るべき行動を決めることが、しんどいんですよね。ただ、ウイルスの脅威は今に始まったわけではありません。歴史を振り返ると、過去にもこうした感染症の蔓延はたびたび起こっていました。つまり私たちは、いつか訪れるかもしれないこうした情況を意識の外に追いやって、日々を安寧に過ごしてきただけなんです。悲観的な未来予測を避け、可能な限り楽観的に物事を考えて今までやってきた。そのツケが一気にやってきたのが現状だと思います。

この度のウイルス禍は、その日その日をかけがえのないものとして生きる、そのことを思い出させてくれています。

友人とも頻繁に会えなくなったことで、ともに酒を飲みながら食事をする時間が大切に思える。大学の講義がオンラインになり、対面で行う従来の方法には身体同士が響き合う学びがあったのだとあらためて気がついた。旅行や映画、アーティストのライブにスポーツ観戦などが、自分の人生に彩りを添えるものであったと、今までよりさらに愛おしくなる。

歌人俵万智さんは「不要不急にこそ豊かさがある」と言っていました。やってもやらなくてもいい、それをするのは今じゃなくても構わない、それでもつい興味を持ってそれに向いてしまうのは、心の奥の方でそれを強く求めているからです。この「それ」には人それぞれ当てはまることが異なるとは思いますが、ざっくりいうとこの「趣味的ななにか」は、生を充実させるためには必要不可欠なんですよね。なぜならそこには「豊かさ」があるから。

さて、教育に携わる身として、新型コロナウイルスへの感染が拡大する中でずっと心配していることがあります。

この度のウイルス禍は、多くの人の健康を脅かし、また社会の経済を停滞させる恐れがあるのは周知のところです。感染拡大を避けるための行動指針や政策が、多くのメディアから報道されています。でも、ここには決定的に抜け落ちているものがあります。それは「子ども」の存在です。

幼児はマスクをつけることにも難色を示します。保育園や幼稚園ではソーシャルディスタンシングを保つことはできません。修学旅行が中止になり、外出に制限がかかるこの現状を子どもはどのように感じているのでしょうか。休校措置による学業の遅れ、それに対する不安を抱えている子どもは多いでしょう。とくに受験を控えている子どもは、僕たち大人の想像をはるかに超える不安を胸に溜め込んでいるに違いありません。

それぞれに不安を抱える子どもたちはまた、このウイルス禍でうろたえる大人たちの背中も見ています。世界各地で頻発する「マスク警察」、第2波到来を思わせる感染状況にも関わらず予定通り実施された「GO TO キャンペーン」、東京五輪の開催を優先したかと思わせる感染者の発表など、世の大人たちはどこからどう見てもうろたえています。子どもの目には僕たち大人の狼狽ぶりがどのように映っているのか。それを想像すると激しく心が痛みます。

マスクの着用が子どもの発達や成長に及ぼす影響も指摘されています。呼吸が浅くなることによって横隔膜が動かない、マスク着用により表情が見えない中でのコミュニケーションが強いられるなどの指摘が、専門家から為されています。僕たち大人は、これからの社会を担う子どもたちのことを、もっと真剣に考えなければなりません。

つまりほとんどの行動指針や政策の対象に「子ども」が含まれていないのです。

そう考えていたところにミシマ社から一通のメールを受け取りました。そこには「こどもとおとなのサマースクール 2020」を開催すると書かれてありました。さすがミシマ社です。子どものことを憂いつつも、自らの息苦しさを解消することにかまけていた僕のモヤモヤした気持ちが、いくらか晴れました。子どもに向けたイベントをこのタイミングで開催するミシマ社を、僕は全面的に支持します。

内容は以下をご覧ください。

www.mishimaga.com

 

イベントを説明する文章の中で以下の箇所に目が止まりました。

「自宅待機や過剰な非接触で生じた「損失」を補いたい。先の見えにくい社会で生きていくための力をつけたい。そうした時代に求められる感覚をしっかり高めていきたい。なにより、学びは遊びだ! という体験をしてほしい。
 このような声に応える夏に、一出版社としてとりくみたいと考えた次第です。」


「学びは遊びだ!という体験」にハッとさせられました。この度のウイルス禍で自分がいかに深刻に物事を考えているかに気づかされたんです。

物事を真面目に考えることは大切です。でも「深刻」ではダメなんですよね。健康や命に関わる問題だからつい悲壮感が漂う「深刻さ」に心が囚われてしまうのだけど、そうならずに、あくまでも「真剣」に取り組む。それはつまり「遊び心」を忘れないってこと。自動車のハンドルにも「遊び」があって、それがなければ安定的に走行することができません。それと同じです。この「遊び」は、先に紹介した俵万智さんの「不要不急にこそ豊かさがある」にもつながると僕は思います。

この「こどもとおとなのサマースクール 2020」は僕も拝聴します。講師の真剣な語りに触れることで、子どものみならず大人の僕にも学べることが見つかる気がするから。来週を楽しみに、それまでの仕事を真剣に、まるで遊ぶように楽しく取り組もうと思います。

2020年7月28日。

今日は朝からzoomでの会議。第2体育館がこの秋に完成するので、その記念式典について担当教員同士で話をする。僕が主担当なので内容案を提示し、他の先生方から意見を頂戴する。話し終えるや否や途中で退出してラグビー部の練習へ。出席者は13人。僕も加わり3チームに分けてタッチフットボールを数ゲーム行う。しばらく活動していなかったので部員の体力は落ちており、途中で膝に手をついて息を切らしている者もいたが、やはりゲーム形式の練習はおもしろいらしく途中で抜ける者もなくみんな最後まで走り切っていた。いつもの喫茶店【サンフラワー】でランチをすませたあとはまたzoomでの会議がひとつ。その後Teamsにパワーポイントの資料をアップロードしたら、すっかり夕方になっていた。

このところ夢中になって読んでいた『漂白のアーレント 戦場のヨナス』を、大学への道中で読了した。素晴らしい本だった。一字一句、取り逃したくないと思える本はそうそうない。普段の読書は線を引くためにシャーペン片手に読むのだが、この本はあえてそうせず、とにかく通読を心がけた。線を引いたり付箋を貼ったりすると、読書の流れがどうしても寸断される。研究に関わる専門書や講義で引用するための読書はそれでもいいのだけれど、純粋にその本を楽しもうとすればできるだけこの流れを止めたくない。流れのままにページをめくりながら、その世界に浸る方が間違いなく楽しい。そうして舐めるようにじっくり読んだのだった。終わりに近づくにつれて線を引きたい衝動に負けて、数カ所シャーペンで書き込んだだけ。次に読み返すときにはガシガシと線を引こう。

ここ最近はおもしろい本によく出くわす。備忘録としてざっと列挙しておく。

ポール・メイソン マイケル・ハート マルクス・ガブリエル『未来への大分岐』
出口治明『哲学と宗教全史』
トニー・コリンズ『ラグビーの世界史』
松村圭一郎『文化人類学の思考法』
小倉ヒラク『発酵文化人類学
内藤正典『となりのイスラム
内田樹×平川克美『沈黙する知性』
内田樹『サル化する世界』
ジョージ・オーウェル1984年』
雄大『モヤモヤの正体』
三島邦弘『パルプノンフィクション』
佐藤友亮『身体的生活』
白井聡『武器としての「資本論」』
奥田英朗『罪の轍』
斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの?うつ病社会の処方箋』

振り返るとジャンルもバラバラで、自分の「雑食性」をあらためて実感する。新型コロナウイルスの感染拡大によって生じた時間が、僕を読書に向かわせたという点もあるが、ここんところはとにかく読書が進む。もちろんうれしい悲鳴だ。もともと遅読なので量はさほどかもしれないが、夢中になってその世界に浸れる、読書ならではのこの幸せは、なにものにも代え難い。欲を言えばもっと映画を観たいのだけど、子育てと仕事が忙しいあいだはなかなか難しい。大学への行き帰り、また仕事の合間に研究室で楽しめる読書はやはりいい。

さて、そろそろ帰ろう。帰宅後は娘と遊ぶのである。

2020年7月24日。

新型コロナウイルスの感染が拡大する状況を受けて、本学では再び全面オンライン授業へと移行した。一部対面授業を行っていたのを取りやめてのこの事態に、仕方がないと思いつつも、学内に自粛ムードがあらためて漂い始めたことに気分は憂鬱になる。

本日はTeamsによる授業とzoomによるゼミとが一つずつ。zoomでのゼミでは、学生たちはこのコロナ禍による疲れが隠せない様子で、ディスカッションがいまいち盛り上がらない。三密を避け、ソーシャルディスタンシングを取る。マスク着用に手洗いの励行など、感染防止に向けてほとんど義務化された行動を余儀なくされ、さらには「GO TO キャンペーン」というさらに感染を拡大しかねない政策にも翻弄されて、脱力感を感じているようだった。

国であれ地方自治体であれ、はたまた職場やクラブ活動などの身近な共同体でもそうだが、リーダーたる者の資質がその所属員に与える負の影響をまざまざと実感している。発売中の週刊文春には、第2波到来かと思われるほど感染が広がりつつある現状において、なぜ「GO TO キャンペーン」を始めるのか、それがわかる記事が掲載されていた。詳細は省くが、記事内容を僕なりに解釈すると、要するに菅官房長官東京都知事のメンツがぶつかり合ったがゆえの「今」であるということだ。一国民にとってはまったくもってはた迷惑としか言えない。

自粛を促しつつ旅行にも行けというのが、どう考えても無理筋なことは小学生でもわかる。あちらこちらで目にするリーダーの無能さには、ほとほとあきれ返る。人格の高潔さまで求めないから、せめて常識的な判断をして欲しい。少しくらいなら私腹を肥やしてもいいから、せめて実効性のある政策を提言してもらいたい。

とほほ、とため息をついて、どうにかこうにかやり過ごすしかない。

今日が祭日であることは、家を出て最寄り駅に向かう道すがらに気づいた。1科目15コマを確保せねばならないから、コロナ禍で授業開始が出遅れた分を確保するために本学で祭日でも授業を行う。だから平日の気分のままに出勤したのだが、通りを走る車や駅に向かう人がやたらと少ないことを変に思い、そこでようやく気がついたのだった。しかも今日は新設されたスポーツの日だというではないか。本来ならば東京五輪の開会式が行われているはずだった1日も、いつもの金曜日のように過ぎ去り、窓の外を見ればいつのまにか暮れかけている。皮肉である。

雨も、窓を叩きつけるほど激しく降っている。そういえば今朝は曇っていたので自転車で出勤し、最寄り駅近くの有料自転車置き場に止めている。このままだと雨の中を自転車で帰らなければならない。

こちらもまた、とほほ、というしかない。

今日も長い1日だった。
さあ、帰ろう。

2020年7月22日。

友人の訃報を受けてからずっと、心がざわつきっ放しだ。小学校から大学までを同じ学校で過ごした友が、すでにこの世にいないことが受け入れられない。いつも友達の輪の中心にいて、周りからも一目置かれる存在だったその友と、もう一緒に時間を過ごすことができない。そう思うと胸が張り裂けそうになる。

気持ちの整理がつかないまま、こうしてブログで心情を吐露することを許してほしい。ともすれば読むに値しない、僕個人の感情がダダ漏れのテクストになるかもしれないが、今は書かずにはいられない。僕のこの深い悲しみに付き合いきれない人はここで読むのをやめてほしい。暗い感情で書かれたテクストは、その暗闇にしばしば読み手を巻き込むことがあるからだ。それは僕の本意ではない。

身を持ち崩しそうになるほど混乱をきたしたこの感情を、書くことによって幾ばくか昇華すること。それが今日のブログの目的だ。どんな内容になるのかも、僕自身、まったく見当がつかない。ただキーボードを叩く指に任せて、つらつらと書いてみたいとだけ今は思っている。

生死の問題はこれまでにも漠然と思考を重ねてきた。だけど、「近しい友人の死」については手つかずのままだった。そんなことは起こり得るはずがない。40代も半ばに差し掛かって、あまりに楽観的にすぎるこの見通しにはなんの根拠もないけれど、そう信じて疑わずに今日まで生きてきた。

突然の訃報に触れたときはただただうろたえるしかなく、涙もすぐには出なかった。休日の昼下がりにグループラインで送られてきた文面を最初に読んだとき、なにかの間違いだと思った。彼自身ではなく、彼の親族に不幸があったとの知らせを誤読したに違いない。そう思って読み返してみたが、やはり彼自身が亡くなったと書かれてある。居ても立っても居られなくなって、その知らせをくれた友人に電話をかけてみた。亡くなったのは本人だと電話口で告げられ、ここでようやく涙がこみ上げてきた。

今でもまだ現実を受け入れられずにいる。大学の行き帰り、そこの角からひょこっと顔を出すような気もするし、スマートフォンの画面を眺めていると、ふと電話がかかってくるんじゃないかとさえ思える。彼とは大学を卒業してからも年に数回は会う親しい間柄で、飲みながら近況報告をしたり、ときに麻雀を一緒にしたりした。互いに関西在住だから空間的な距離も近く、いつも当たり前にそこに居た。どちらかが声をかければすぐに会える距離に彼は居て、だからというのか、わざわざ会うというよりもなにかのついでに会う機会がときどき訪れる。そんな風だった。

今はもうこの世に彼はいない。同じ空間をともにすることは金輪際、叶わない。彼はもうこことは違い、遠く隔たったところに旅立った。でも不思議なことに亡くなって以降は、ずっと「ここ」にいる。振りほどこうにも振りほどけないほど執拗に、彼は僕の意識を埋め尽くしてしまう。仕事のあいまに息をついたその瞬間、僕は無意識的に彼のことを考え始めている。若かりしころの思い出がよみがえって懐かしい気持ちになり、目元にシワを寄せながら楽しそうに笑うその表情が鮮明に浮かび上がる。麻雀をしながら何気なく交わした会話もふと浮かぶ。肉体としての命は失われたとしても、彼の存在は生前よりも明確にその輪郭を際立たせる。彼と関わった時間があとからあとから思い出されて、それが心の混乱にさらに拍車をかける。

いつも当たり前にそこにいた人が、今はもういない。でもその存在は、明確な図像をともなって「ここ」にいる。不思議だ。実に不思議だ。

底知れぬ悲しみを覚えると同時に、腹立たしさもまた湧いてくる。なぜ僕らを置いて先に逝った?急性心不全だから抗い得ない事態だったにしても、なぜ神は彼を選んだのか。なぜ彼に死を与えたのか。理不尽極まりないそのジャッジを下した神を、呪いたくなる。

どれだけ書いたところでこの心が落ち着きを取り戻すはずがない。それはわかっている。そうであってもつい書いてしまうのは、書き手としての性分だろう。

今はとにかく彼の冥福を祈ることしかできない。この心は、然るべき時間をかけて整理をしていかなければならない。今は時間が過ぎ去るのが遅く、1日がとても長く感じられる。でもどんなことも忘れゆくのが人間で、いつのまにかいつもの日常を過ごせるようになるのだろう。そうなる日が待ち遠しいのかどうか、それすらもよくわからないが、今は彼についてとことん考え続けたいと思う。とことん思い続けたいと思う。

2020年7月6日。

大学のあるここ神戸市北区も朝から雨が降り続いている。球磨川が氾濫し、広範囲で被害を受けている熊本は大丈夫だろうかと、灰色の雲で視界が遮られる西の空を眺めてみる。さらにその先の、国家安全維持法が施行されたばかりの香港にも思いを馳せる。今朝のニュースによれば、公立図書館で民主活動家らの著書の閲覧と貸し出しが停止されたらしい。自由が奪われたかの国で過ごす若者をはじめとする国民を思うと、胸がしめつけられる。

東はというと、昨日の都知事選で現職の小池百合子氏が圧勝した。前日までのTwitter上では、投票率が史上最高になるかもしれない期待で溢れかえっていたが、なんてことはない。蓋を開けてみれば前回のそれを下回る55%だった。僕自身もかすかな期待を抱いていただけに、残念だ。僕には小池氏のどこが評価されたのかが皆目、見当がつかない。僕が見ている日本社会とは、まったく異なる日本社会を見ている人がこんなにもいることに脱力感さえ覚える。

どう逆立ちしてもコロナ禍の今はオリンピックを開催している場合ではない。というか、たとえコロナ禍でなくともオリンピックはすでにやめるべきときに来ていると思われて仕方がない。にもかかわらず、オリンピックの強行開催を宣言している小池氏に票が集まるのはなぜなのだろう。

肝心のコロナ対策においても目ぼしい政策を行ったとはいえず、東京アラートという派手な演出と、原稿を読まずに話をするという政治家として当たり前の応答をしたのみ。大阪市長のそれと同じように、科学的根拠に乏しいながらも歯切れよく答弁を繰り返す人をなんとなく評価する昨今の風潮には、大いなる危機感を覚えている。

今回の都知事選で痛感したのは、Twitterと現実世界ではやはり大きく論調が異なるということだ。内閣のメディア戦略に電通が絡んでいたというニュースが数日前に流れていたが、それを目にしたときには「やはりね」と、さほど驚きもしなかった。ありうる話だと思えたからである。でも、その影響も実のところはそれほど大きくないのかもしれない。

SNSによる発信は、民衆感情としての「世論」の受け皿にはなり得ても、公的な意見としての「輿論」の形成には今ひとつ足りない。2011年初頭から中東・北アフリカ地域で本格化した一連の民主化運動である「アラブの春」ではSNSが一役買ったというが、表向きは生活が安定している日本のような国ではそれほど有用ではないのかもしれない。

全国民に広がったSNSの利用は、実に多様な意見を吸い上げることができる。まさにそれは玉石混交で、いや、実のところはたまに「玉」が見つかる石だらけの空間でしかなく、どれだけ真摯に発信を心がけてもカオスとしての情報の洪水に飲み込まれてしまう。匿名ではなく名を名乗って発信したとしても、所詮は画面上の文字でしかなく、対峙した生身のからだから発せられる熱のこもった言葉にはどうしたって叶わない。だから情報の分別ができない人にはどの情報も相対化されてしまい、なにを信じてよいかがわからなくなっているのではないだろうか。その結果、声の大きな人が発する情報に信を置きがちとなり、それが次第に「輿論」を形成する。

専門家からの情報を頼りにすればいいではないかと考えても、そもそもテレビのワイドショーを始め様々なメディアに出演することで「専門家」の株が大暴落している以上、専門家すら信用できない事態に陥っているといえる。ということは科学への信頼もまた大暴落しているわけで、こんな情況では誰を、何を信頼していいのかがはっきりしない。研究者の端くれとしてはこの専門家ならびに科学への不信に一定の責任があるからして、うなだれるほかない。

研究ならびに社会の動向を追いかける上で、僕はどうにも袋小路に迷い込んでいるみたいだ。ゴルディオスの結び目を剣で一刀両断にしたアレクサンドロス大王のように、山積する社会の課題に対するスパッとした解決策がないだけに、とても歯がゆい。でも結び目はやはりひとつひとつ解いてゆくしかなく、その気の遠くなる作業に取り組む意欲だけは枯渇させないように努力せねばならない。

したがって家事や子育て、オンライン授業の準備に会議に精を出しつつ、これからも空いた時間にはSNSで情報収集し、知り得た情報から主張できることはSNSを始めありとあらゆる場で発言していく。SNSの利点には、こうして着実に言論活動を行なっている同士の存在を感じられるところにある。日本ではまだ、言論の弾圧が進んでいないことだけが救いだ。