平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

三連休はこうして過ごしました。

怒涛の三連休が明けて、また1週間が始まった。
この連休はイベントが盛りだくさんで、いやイベントというよりはむしろ仕事に近い、というよりもやっぱり仕事という他ないだろう的三段活用で語られるようなことをしていた(なんのこっちゃ)。備忘録として書きとどめておきたい。

初日の金曜日はデフラグビーの指導。デフとは聴覚に障害がある人のことで、つまりは聴覚障害者が行うラグビーデフラグビーというのだそうです。追手門学院大学の千葉先生に声をかけていただいて、今回の指導機会に恵まれました。

最初に「指導してください」という話をいただいたとき、デフラグビーがどういったものなのかという話を先生から聞きながら、どのような指導を行おうかと練習メニューを頭の中でぐるぐると整理していたところ、はたと立ち止まってしまった。というのは、僕の知っているほとんどの練習メニューが耳が聞こえることを前提としていることに気づいたからである。よくよく考えれば当たり前なことなのだが、こうした機会に改めて考え始めない限りは「当たり前なことは当たり前なこととして」意識の上っ面を何の抵抗もなく滑っていくものである。今回、デフラグビー指導という機会をいただき、当たり前なことに気がついて愕然としたけれど、このときの愕然とした気持ちはあくまでも爽やかである。身近な出来事の中から新しい気付きを得られる経験は何物にも代えがたく、それは決して苦しいことではなく楽しいことで、だから爽やかさを感じるのである。お手軽に得られる昂揚感というかなんというか。

で、肝心要の指導はどうだったのかというと。

率直な感想は、「伝えることがどれだけ難しいことかを痛感した」というものである。僕の話すことは通訳が手話にしてくれるのだが、はじめから通訳を頼りにし切っていつも通りの指導を行えば話は通らない(ように感じた)。そうではなくて、口を大きく動かしながら身振り手振りを交えてゆっくりと話すことで、デフの方々にはこちらの思惑を伝えることができる。すべてではないにしても「大まか」には伝わる。同じラガーマンとしてラグビーという共通語が存在するから、選手としての感覚は言葉を介さない分だけむしろよく伝わるのではないかと、そんな風に感じもした。「大まか」だからその内容を理解するために選手本人は考えなければならないわけで、その考えるという行為を通じてニュアンスは身体に浸潤していく。

「とても集中力がある」、「コミュニケーション感度が高い」、デフの方々に僕がそういう印象を持ったのは、おそらくそうした構えでこれまで生きてこられたからではないだろうか。若輩者の身勝手な想像にすぎないけれど、そんな風なことを思ったのである。明日の「身体観測」にその辺りのことを書いたりもしたので、また読んでもらえればと。指導がどうのというよりも、僕はデフの方々と交流ができたことをとてもうれしく思っている。 (「それいけ!ホチョーカーズ」で紹介していただいています→<2009.3.23>

土曜日は大学の卒業式&謝恩会。創設されてすぐの新学科の新任教員である僕はゼミもまだもってなくて直接的な卒業生はいないけれど、謝恩会でゼミの先生と学生とのあいだで取り交わされる感謝の言葉のオンパレードに思わず心が温かくなる。涙もろくなさそうに見えた先生が目に涙を浮かべるのを見て、思わずもらいそうになって慌てて水割りをくいっと飲んだり。謝恩会後に教職員の人たち大勢で飲みに行った席で、絵に描いたような千鳥足で帰路につかざるを得ないほどついつい飲み過ぎてしまったのも、そしていつものごとくしゃべり過ぎるほどしゃべり過ぎてしまったのも、くいっと飲んだあの水割りが身体中を駆け巡っていたからだろうと思う。スポーツ指導の現場に立つ職員さんから、自身が抱える問題を聞かされてつい放っておけなくなり、高らかに自説を語ってしまったのも、おそらくあの水割りのせいである。

翌朝目覚めてすぐ「あー、またやってしもた」と深い後悔の念に沈んだのは改めて言うまでもない。ただ僕自身はすごく楽しい時間を過ごせたと感じていて、それだけがせめてもの救いであるような気がしている。お節介が余計だったか否かは先方に決めていただくとして、すっかり開き直ってしまおうと思う。

そして日曜日はSCIX主管のフットボールコーチンセミナー12に。このイベントの主たる担当ではなかったのでほとんど仕事はなかったのだけれど、とにかく無事に終えることができてホッとしたのであった。

さてさて、ラグビー学会での発表まで残り1週間を切った。呆れるほどに内容が煮詰まっていないからこの1週間は腰を落ち着けて取り組もう。って、毎週そうやって思ってるんやけれど進まない。あまりに意志が薄弱なことに「うーん」である。