平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

2020年5月26日。

朝イチに新入生の学科内オリエンテーションをzoomで行う。例年はアクティビティを伴う泊付きの合宿で親睦を図っていたのだが、今年はオンラインですることに。社会情況がこんなだから、致し方ないとはいえやはり寂しい。

そのあとはオンライン授業の準備に取りかかる。あっというまに時間が経って、気がつけば窓の外が暗くなりかけているし、いつのまにか雨も降っている。

少しでも研究をしようと、授業準備の合間に読み返していたのが野口三千三『原初生命体としての人間 野口体操の理論』(岩波現代文庫)。そこで、今の僕の心境を鋭く突き刺す言葉を見つけたので紹介したい。

「不快感を伴う感覚は一般に集中性・局在性があり、明確・強烈なものが多いし、快感を伴うものはその実感が漠然としていたり、拡散的で曖昧であり、局在感が不明確であることが多い。
 したがって、嫌な好ましくないことばは思い出しやすいが、美しく好ましいことばは思い出しにくいということにもなる。」(261頁)

Twitterなどでは「嫌な好ましくないことば」ばかりが目について仕方がない。僕のタイムラインが実際にそうしたことばで溢れていることは否定できないにしても、不快感に伴う感覚の集中的で局在的な性質もまた影響している。だから今こそ、思い出しにくい「美しく好ましいことば」を手帳に書きつけるなり、メモに書き残すなりしておこうと思う。そしてなるべくTwitterでもそれを発信するように心がけよう。もちろん、政治批判と並行しながら、ね。