平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

授業の目的はなにかを学び、身につけること。

いつのまにか雲が覆った空を眺めながら書き始める。

先ほどまで学生たちの模擬実技を指導する授業をしていた。3人ないし4人グループが25分間の持ち時間でアクティビティを行うのだが、初回だから失敗だらけになるだろうと思っていた。声は小さく説明は不十分、間の悪さに中だるみする。例年は大体こんな感じだったのが今日は違った。アルバイトで小学生にスポーツ指導をしてたり学童でのサポート経験があったりと、人前に立って話し慣れている学生たちが多く、実に見事な模擬実技だった。

とはいえ、すべての学生が秀でていたわけではなく、なかには緊張のあまり早口の説明になったり、語尾がフェードアウトして内容が聞き取りづらい学生もみられた。でもいまはそれでいい。むしろそれが普通だ。そうした学生たちをこの後の授業で育てるのが僕の役目である。

授業の目的とは単位を集めることではなく、なにかを学び、身につけることだ。これって当たり前に当たり前なんだけど、教職関連を含めてカリキュラムにがんじがらめになった学生たちを見てると、一つ一つの授業をこなしているかのように映る。だから敢えてここを強調しておかないと、せっかくの学びが「単位のお買い物」になって、実りある時間になるはずの授業がやり過ごすだけの苦行になる。

靄でかすみがちな本来の目的を思い出すためにも、教える側の僕がここをきちんと踏まえておかなければならない。教育という営みの本質を念頭におきながら、また明日からの授業に臨みたい。

さてと、そろそろラグビー部の練習だ。右ふくらはぎの痛みも落ち着いていることだし、6割くらいで一緒に走るとしようか。