平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「伊良部氏への追悼」身体観測第125回目。

 伊良部秀輝氏の訃報を知り、やり場のない脱力感を覚えた。個人的な知り合いでも、熱烈なファンでもないのに、しばらく呆然としてしまった。あれほどまでに見る者を魅了した選手がなぜ自殺するに至ったのか。憮然とした表情を浮かべ、悪びれた素振りを見せる彼の姿が、ふと思い出される。



 人気と実力を兼ね備えた選手だったことに異論を唱える者は誰もいないだろう。最速158kmの直球と鋭角に落ちるフォークの切れ味は素晴らしかった。テレビ画面に映る仏頂面は時折見せる笑顔を際立たせ、挑発的で言葉足らずなコメントは茶の間を盛り上げた。ぶっきらぼうだからこそ愛される、そんな選手だった。


 だが、本当のところは違ったらしい。かつてのチームメイトによれば、身体のケアや投球フォームに人一倍のこだわりを持ち、野球のことなら朝まで語り続けられるほどの野球小僧で、繊細な心の持ち主だったという。だとすればメディアへの無愛想な態度も過度の飲酒も、自分を守るための手段だったのだろう。メディアが伝える映像と記事をもとに僕が勝手に描いていたイメージとは全く異なり、ほとんど別人だったようである。


 子どもの頃から身体能力に秀でていたが故に、いやが上にも脚光を浴びる存在としてこれまでの人生を歩んできた。一挙手一投足に注目が集まり、親や先生や友達は自分のことを噂する。こうした幼少期を過ごせば、周囲の期待を背負うことが生への実感そのものになる。だが、引退してそれが叶わなくなると、一抹の寂しさが心を浸食し始める。自らの存在価値が薄まっていくような不安感を、多かれ少なかれ引退後の選手は抱え込むことになる。



 あれほどまでに世間の耳目を集める存在だっただけに、心に去来した不安感は相当な厚みがあったに違いない。心よりご冥福をお祈りしている。



<2011/08/02毎日新聞掲載分>