ここ2年ほど、いやもう3年になるだろうか。XやFacebookなどSNSでの発言を控えている。あまりに酷いリプが投げつけられることに嫌気が差したからだ。社会的な発言をしているのだから、少々の誹謗中傷くらいでめげてるわけにはいかない。そうずっと踏ん張ってきたのだけれども、ほとほと嫌になってしまった。出る杭になり続けるのは、そう簡単なことじゃない。それを思い知ったのだった。
発言を控えているとはいえ、やはりSNSは貴重な情報源である。いまもほぼ毎日チェックしているのだが、SNSとくにXのタイムラインには、著しく敬意を欠いた言葉が氾濫している。僕が真っ当な発言だと感じるポストであっても、リプ欄を覗けばきわめて攻撃的な言葉が並んでいて、当事者ではなくただ傍観しているだけでも身が切られるような暴力性がそこにはある。敬意を欠き、負の感情を垂れ流しただけの言葉は、たとえ誰かに向けられたものであっても激しく生命力が削られるもので、アプリを開くときは肚に力を入れ、姿勢を正さないと、その毒に当たってしまう。しばらく何をする気にもなれない状態になったりもするから厄介である。
それでもアカウントを消さず、リポストや告知に留めつつも細々と続けているのは、先にも書いた通り、SNSは貴重な情報源だからである。私淑する方や個人的に注目する方々が直接語る言葉から得られるものは、とても大きい。それが手放せない。というか手放してはいけないと思っている。誹謗中傷にめげず発言を続けている彼、彼女らに敬意を抱くとともに、そこに知的リソースを割く気概には震えるしかない。
SNSでの発言を控えてはいるものの、各媒体でのインタビュー取材では思いの丈を語っているし、連載中のコラムで言うべきことや言いたいことを発信している。インタビュー取材等の告知はブログに掲載している通りで、ぜひご覧いただきたい。連載については、京都新聞【現代のことば】が今年の6月に終わったので(ちょうど10年、書き続けました)、いまはプレジデントオンラインおよび朝日新聞のコメントプラスが主戦場である。そこでは遠慮することなく率直に言葉を紡いでいる。少しでも住みよい社会になってほしいという願いを込めて。ただ、こうした言葉が届けたい人に届いているかというと心許ない。すぐにリアクションが確認できるSNSとの比較においてそう感じるだけかもしれないが…。
いずれにしても言うべきことや言いたいことは山ほどある。それをどのように発信していけばよいのか。SNSでの発言を再開するのかも含め、言葉に備わる現実編成能力をいかにして発揮させればいいのかについて、思索を続けたい。






