3月末に引っ越してから3ヶ月が経とうとしている。大阪生まれの関西育ちでここまできた私にとって、50歳になる直前に東京での生活を始めたわけである。昨年度末に自宅と研究室の引っ越しなどなどで目が回る日々を送っていたのが、もう随分以前のように感じられる。それほどまでにいまの生活に馴染んできたということだろう。職場や友人たちからの歓迎会を経たのも大きい。ここ成城での居場所が少しずつ築かれてきて、気を緩めることができるようになった。
たぶんホッとしたからだろう。2週間ほど前から体調を崩している。喉がやられて声が出しにくくなり、治りかけたと思ったらまたぶり返して、いまもまだたまに咳が出る。「病は気から」とはよく言ったもので、新しい環境に馴染もうと気が張っているときは風邪など引かず、仕事や生活の勝手がわかってきて、もうリラックスしても大丈夫だとからだが判断したときに、疲れはドドドとやってくる。まことにからだは賢いもので、頭でごちゃごちゃ考えるよりも、このからだに任せておけばなんとかなるもんだよなと、あらためて実感している次第である。ちなみにちょっとした風邪なのでご心配なきように。
思い起こせば4月初旬は慌ただしかった。私の仕事に関してはさほどそうでもなく、70箱ほどの段ボールの荷解きが大変だったくらいで、あとは親切な教職員に助けられて実にスムーズに環境の変化に対応できたように思う。
大変というか、労力を要した(ている)ことをあえてもうひとつ挙げるとすれば、それは授業の準備である。これまでの講義ノートをベースにあらためて資料を作り直しながら行なっているものだから、とにかく時間がかかる。ただこれは「時間がかかる」ということが大変なだけで、資料作りをもとに講義案を練る作業はとても楽しく、本人はそこまで大変だとは感じていない(どっちやねん)。担当科目が、前任校に比べると自らの専門性を全面に押し出せるということもあり、あれもこれも盛り込もうと画策することがエキサイティングで、これまでの研究をあらためて概観できもするから、時間はかかりながらも実に有意義である。ま、決して大変ではなく、充実しているわけだ。
それよりもなによりも気がかりだったのは、娘である。東京での新生活にうまく馴染むだろうかと心配していたのだが、それは杞憂だった。こちらに引っ越してからはなにひとつ不満も漏らさず、スーパーへの買い出しや休日のお出かけやたまの外食などもすぐに楽しむようになった。幼稚園のときの友達と不定期で文通をしているので、手紙を読むときには西宮を懐かしんでいる様子だが、それも一瞬だけ。東京は楽しいと口にするようにもなった。
その様子が変わったのは、初等学校入学式の前日だった。友達ができるかどうか、学校に馴染めるかどうかを急に心配し始めた。そこからしばらくは学校に行く前には表情が強張り、不安をやりすごすよう自らを鼓舞しながら家を出る日々が続いた。気が強いところもあって、決して弱音を吐かないのだが、その様子もまた私を心配させるには十分だった。毎朝私とふたりで通学するのだが、その道中、緊張する表情を横目で見ながら彼女の不安を少しでも和らげるべく他愛もない話をし続けた。
下駄箱まで送って、そこで別れるのだが、別れ際にはいつも両手でハイタッチをして、そのあと私のお腹あたりに顔を埋めてギュッとしてから意を決したように教室に向かう。階段を登りながら何度も何度もこちらを振り返って、その度に手を振ってニコリとする。その、どこかぎこちない「ニコリ」に後ろ髪が引かれる思いで、毎朝、研究室に向かっていた。
そうして3週間ほどが経ったころだろうか。友達ができたことで学校が楽しい場所になったみたいで、表情の強張りが解けて意気揚々と登校するようになった。送るのも正門までになり、別れ際にハイタッチはするが「ギュッ」はしなくなった。今日なんか一度も振り返らずに、たまたま一緒になった友達とおしゃべりしながら校舎に入っていった。その様子を最後まで見つめる私の方が未練がましく思えるほどに、娘はたくましくなった。親としては心よりホッとしているところである。
いまのところ我が家の新生活は順調そのものです。という友人や知人たちへの報告と備忘録を兼ねて、今日のところは書いてみました。ではまた。