平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ついこの前だったはずのあの頃と、今。

あっという間に4月も終わり。今週を乗り切ればGWに突入。時間が経つのは早いものである。

という書き始めが常套化しつつあることは少し気にかけているが、たまにしか更新していないのだからこれが正直な気持ちで現実であるから致し方ない(ということにしといてください)。時間というものはホントにあっという間に過ぎ去ってゆく。いや、正確には「あっという間に過ぎ去ってしまう」という実感がそう思わせているだけで、時間はいつも通りゆっくりと流れているにすぎない。日常的なあれこれに急かされて、または急かされたふりをしなければ立ちゆかない状況がこう思わせるのに一役買っているんでしょう。

と、今回はなんともややこしい言い訳ですみません。

さてと、ボク自身のことも含めてまわりではめでたいことが続いていて浮かれ気分の日々である。内田先生の伊丹十三賞受賞を筆頭に、私的な事を挙げればきりがないくらいにめでたいこと続きで、なかなか刺激的な日々の連続に目が回りそう。だがしかしそれは当然のように、楽しくも明るい日々である。

ボクにとっては人生のパートナーと一緒に新しく生活を始めたことが何より大きな変化である。つい1カ月前を振り返ると、なんとも目まぐるしい変化のただ中を生きていたのだなと実感せざるを得ないけれど、つい1か月前のことがはるか過去の出来事のように思えるのはとても不思議だ。「そんな~時代も~あーったねと♪」と、今なら中島みゆきのあの歌を跳びきりの実感を込めて歌えそうな心境である。あの家で独りであんな生活をしていたんだなあと、あの頃がまるで他人事のように感じられる。ここでもまた時間の流れが感じられてしみじみとなる。

あらためて言うまでもなく、当たり前に当たり前なことだけれど、結婚生活は「ひとりがふたりになる」とかそんな単純な足し算ではなく、こいつと2人で生きていくという意志のもとに営まれる生活であって、まだ歩み始めて間もない今でもそこには十分な手ごたえを感じている。その正体はなんだかよくわからないけれど身体の内奥には漲るものがあって、これまでとは違った身体感覚をこの身に感じている。

そのよくわからないけれどなんだか温かなものを抱えながらこれから生きていくのかと思うと、なんだかものすごく前向きになれる。過去のどこかに置き忘れてきた自信を取り戻しつつある気配を感じたり、なんの根拠もなく意欲が湧いてきたり。「腹が据わった」という表現は少し定型的で、それでいて格好つけ過ぎかもしれないけれど、そんな感じがしている。うーん、なんだかよくわかりませんよね、この書き方では。でもこんな心境なのです。

まだまだ至らないところが多々あって、パートナーにはもちろん、周りの皆さんにも心配や迷惑をかけ通しなのは百も承知しているけれど、なんとかやっていきたいと思っとります。どうぞよろしゅうに(ってまた挨拶になってしまった)。