平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

フォーマルとカジュアルの使い分け、書くことの楽しみを確認する場として。

いつしか喫茶店で原稿を書くようになった。いまも自宅近くの純喫茶でカタカタとキーボードを叩いている。隣の席では小洒落た服を着た妙齢の主婦二人が世間話に花を咲かせている。聞き耳を立てても微妙にその声が聞こえない距離なので、さほど気にはならない。まだ煙草が吸える希少価値の高い純喫茶が家から車で5分の距離にあるのは幸せだ。

と、その2人は会計を済ませて出ていった。これで周りには誰もおらず、店内には僕の他に一組のお客さんがいるのみ。いつも混み合うから、ノイズが少ないいまのこの快適さは貴重である。

いま僕は3つの連載を抱えている。ミシマ社が運営するサイト『みんなのミシマガジン』、京都新聞の『現代のことば』、プレジデントオンラインである。それぞれに書く内容は違うが、テーマが決まっているためその枠内に収まるよう試行錯誤をしている。何度も推敲しながらだんだんテクストとしての完成を目指す。

京都新聞はそのときどきの社会状況を鑑みながら、その一本で完結させる。プレジデントオンラインも基本はそう。これに対してミシマガジンは前回の内容を受けて書いている。「スポーツのこれから」という大きなテーマで未来像を描くのが目的だから当然だ。もちろん書籍化も視野に入れている。いずれにしても、それぞれの原稿はきちんとかたちにしなければならない。畢竟、フォーマルな文体になる。

それに対してこのブログで書くテクストは違う。人様の目に触れるわけだから最低限の体裁を整えなければならないが、そこさえ気をつけていれば自由に書いていい。詩的でも論文調でも、なんでもいい。

先の3つの連載がフォーマルだとすればブログはカジュアルだ。夏ならキャップを被って短パンにT−シャツな文体で思うがままに書ける。この気楽さがいまはとても心地がよい。だからやるべき仕事から一旦離れてこうして無為な時間を過ごしている。ここ最近はスーツやジャケパンばかりでいささか肩が凝っていたのだろうと思う。

とにかく書くというのは楽しい。たとえ書くことがほとんどないと思える日でも、ブログならなぜだか書ける。こうして書くことの楽しみを思い出す場として、このブログも大切にしようと思う。