平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

成城学園が放つ場の力。

今日から7月に入った。沖縄から近畿地方にかけては梅雨明けとなり、関東甲信もほどなくそうなる見込みだ。職場が変わり自宅の引っ越しでバタバタと過ごしていた2025年前半が、はるか昔に感じられる。2025年後半も、どうにかこうにか機嫌よく過ごしていきたいものである。

先日も書いたけれど、あらためて感じるのは職場をはじめとする生活環境の変化がもたらす心身の変化である。3ヶ月も過ごせばそれなりに慣れるのは当然だけれど、心身の深いところで馴染むまでにはまだまだ時間がかかる。週末になれば緊張の糸が切れてしまい、放心状態になることもしばしばあって、心身に従うがままにどうにかこうにかやり過ごしているところではあるが、こればかりは時間の経過に任せるなかで徐々に落ち着いてくるのをただ待つしかない。

身を置く環境に「慣れていない状態」がストレスフルなのは確かである。ただこの状態には利点もある。日々の生活において目にしたり耳にしたりすることが発見に満ちており、これまでにない新しい感覚を誘発する、つまり新鮮に感じられるところだ。「よくわかっていない」という自覚が、その場の慣習や文化を吸収しようという意欲を否応なく掻き立てる。教職員との何気ない会話からも何かを得ようと前向きになるし、大学や自宅周辺を歩いていてもこんなところにこんなお店があったのかという発見がある。目新しさゆえの刺激に満ち満ちている事態は、ストレスフルな反面、いちいち感動できるというメリットもある。両者を天秤にかければ、まあ総じて楽しむことができているなとは思っている。

いまの、こうした心境でいられるうちに、ぜひとも書き残しておきたいことがある。心身がすっかり馴染んでしまう前に、さまざまな刺激をまだ新鮮に感じていられるうちに、いまの僕が感じている成城学園のよさを書いておきたいと思う。まだよくわかっていないからこそ、まだその表層しか理解できていないからこその新鮮な筆致で書き残すことには、それなりに意味があるように思うのだ。数年後の自分が振り返ってみて何かを発見するかもしれないという楽しみを念頭に、つらつらと書いてみたい。

🔳樹木に囲まれた自然豊かなキャンパス
成城学園のキャンパスにはとにかく樹木が多い。そこかしこに樹齢たくましい木々が生い茂っている。正門入ってすぐは、うねるようにしてほぼ真横に生える松の木がお目見えするし、グラウンドの東側を沿うように並んだ桜の木は森山直太朗が『さくら』を創る際のモデルになったという。学生食堂前の石畳の道は木漏れ日に溢れていて、どこか涼しげだし、どの教室の窓から外を眺めても緑が目に飛び込んでくる。

敷地内には池もある。そのかたちからドーナツ池とも呼ばれる成城池は、「せたがや百景」のひとつに選定されていて、創立者・澤柳政太郎が掲げた「教育四綱領」のひとつである「自然と親しむ教育」を実践した手作りの人工池である。先日は初等学校の子供たちがザリガニ釣りをしているのを見かけたし、池の脇を歩いていたまた別の日には蛇に遭遇してギョッとした。またまた別の日には子供の拳くらいあるほどの大きなスズメバチに身の危険を感じたりもした。職員に聞いたところによれば、ハクビシンも出没するという。

3ヶ月ほどをこのキャンパスで過ごしていて感じるのは、その植生である。想像していたよりも荒々しくて、それがどこか心地よいのだ。蛇に遭遇してからというもの、その場所を通るたびに心拍数が上がるし、スズメバチに出くわした場所でも自ずとそうなる。つまり意識を外に向けて、身体感覚を研ぎ澄まさざるを得ないわけで、そのちょっとした危機感が身体を活性化しているように感じるのだ。

いわば自然を間借りしているような本キャンパスは、校舎をはじめとする施設ありきの自然ではなく、どうやらもともとある樹木を縫うようにして作られたようである。この場が強いる想定外の事態が訪れるかもしれないという構えは、いわば学びのモデルそのものだ。したがってなにかを学ぼうとする者にとっては好ましい。そこに身を置くだけで学ぶ構えがとれるこのキャンパスは、成城学園にとってかけがえのない魅力のひとつだろう。たった3ヶ月で僕はすっかり気に入ってしまった。


🔳一つの敷地内に幼稚園から大学園までがある
幼稚園から大学院までが一つの敷地内に、徒歩で訪れることのできる距離にある。園児から大学生のほとんどが正門を通って各学校まで通うので、時間帯によっては年齢差のある子供たちで溢れ返る。先日はキャンパス内を娘と手を繋いで歩いていると、学生に声をかけられた。また違う日には学校帰りの中学生が小学生と話している様子をみかけたのだが、聞き耳を立ててみるとその中学生は初等学校出身者で、後輩との久しぶりの再会を楽しんでいた。

キャンパス内で各年代の子どもたちが交差する。そのなかで大学生は「かつての自分」に思いを馳せ、初等学校に通う子どもたちは目に入るお姉さんやお兄さんに「将来の自分」を重ねる。ふとしたときに自分の過去と未来を感じることのできるこの環境は、成長期の子供たちには少なからず刺激になっているように思う。わざわざ時間を作って会いに行かなくても、日々の中で自ずと出会えるわけだ。これは内部進学者でなくとも、自らの成長過程を可視化できるという点で外部から入学してきた者にも恩恵があると僕は思う。

下校途中の小学生同士がもし喧嘩していたら大学生は仲裁に入るだろうし、楽しそうにキャンパス内を歩いている大学生をみた初等学校の子供たちや中学生は、小さくない憧れを抱くに違いない。たとえ具体的な関わりがなくとも、日常の通学途中で目端にかかる光景がその子供に与える教育的な影響はあるはずだ。異年齢の子供たちが交錯するキャンパスは、教育研究者の目で見ればこの上ない学びの場であるといえる。


思いつくままにざっと書いてみた。乱筆乱文はブログなのでご容赦いただきたいが、僕自身の備忘録として、これからも思いついたときに書き残していきたいと思う。