平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ほんまにまあええんか、な。

連休明けの今日は心もカラダもどこかピリッとしないままに一日を終えた。講義とゼミと会議があったのだけど、話をしたり聞いたりしていても身体のどこかにある風穴からシューシューと何かが漏れ出ているかのような感覚がある。下丹田に意識を集めてみてもどうにもうまくゆかない。ややイライラ。でもこのイライラも、身体のどこかにある風穴からシューシュー抜け出ているようで、なんともフニャフニャである。

まあこんなときもあるかと、ちょうど昼ご飯を食べ終えたあたりで自分に鞭を打つのをやめた。あるがままに、あるように。とても難しい境地には違いないけれど、こうしたひとつひとつの心がけや、その心がけからふと生じる気づきを拾い集めればいずれは辿りつけるだろうと高を括っており、この確信はどうにも揺るがない。だからあれこれ考えながらある程度の時間が経てばつまりのところは心が軽くなるのだが、そういう状態の時は心身にはっきりとした手応えがないだけに少々の不安を感じてしまう。あるがままに、あるように。やはり難しい。

こんな時はついついツイッターに興じる時間が増えるのだが、不思議なことにこういった身体感覚って同調するものらしく、タイムライン上には同じように連休明けでフニャフニャさを引きずっているであろうと思われるつぶやきが散見される。連休明けだから同調するのは当然かもしれないけれど、こうも見事にフニャフニャさが同調するのはなんだかとても不思議で、どうにもうれしくなってくる。あの人もあいつもそうなんだと思うとホッとするのは人の性で、それがいいことなのかあまり好ましくないことなのかはさておき、少しの安堵が得られる。だから、「まあええか」。これもまた手応えを追っかける心性に深いところでつながっているような気がするから、だから「まあええか」と敢えて思うようにしているきらいはあるのだが。

いずれにしても今日のところはお腹がすいたので帰ることにする。また明日から2日も休みかと思うと月曜日はまたフニャフニャかもしれず、そのことへの不安が首をもたげてきてなんだか気分が沈みがちになるので、やっぱりここでも「まあええか」と思うようにしてさっさとパソコンを閉じることにする。さあて。