平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

09年ラクロス部夏合宿を終える。

先ほどラクロス部の夏合宿を終えて帰宅。
滞在場所は広島県庄原市
「かさべるで」という宿泊所での3泊4日の合宿は、
初日の練習前にざざっと雨が降った以外は快晴続きだったこともあり、
まことに充実したものとなった。

ここで何度も書いているとおり、我がラクロス部はキャプテンをはじめとする4回生が主体となって、練習メニューや1回生の育成などすべての活動を仕切る。
合宿場所の手配や練習試合の相手、OGに対する合宿参加の呼びかけなど、それぞれ役割分担を細かく分けて学生たちだけで運営している。

だから顧問の僕はほとんど何もすることがなく、ただただ彼女たちが決めたタイムスケジュールに沿って行動しているだけである。
「こんなんでいいもんやろか」という自問自答することも顧問になったばかりの頃はあったけど、今となっては「これでいいのだ」とバカボンのパパ風に思っている。思い込んでいる。

彼女たちには「自分たちで運営するんだ」という自覚がある。
ラクロス部の面々は当然のこととして感じているから無意識的かもわからないが、おそらくある。こうした自覚は監督やコーチやマネージャーが主体的に運営しているチームではどうしても育ちにくい。練習メニューの決定権をコーチに委ねているのか、自分たちが握っているのかの違いは相当に大きいからである。

与えられた練習メニューをあまり考えることなく反復するだけでもある程度までは上手くなる。しかし、自分たちでその意味を考えて選択した練習メニューに取り組むことからは、得られるものの質が違う。その練習がどのようなプレーに磨きをかけようとするものであるか、というような問いを深く抱え込むことにより「考えながらプレーする必要性」が生まれる。そのことの意味はとてつもなく大きい。

「練習を繰り返すこと」に大きな意味はあるが、
練習の意味も考えずにただ反復することとはその意味が異なる。
そして、ただ反復することによる弊害はあまりに大きい。

プロを目指す選手がコーチを信じてただただ反復するとなるとまた意味が違ってくるが、学生スポーツという文脈からすれば単なる反復練習は百害あって一利無しである。与えられることに慣れてしまえば、自ら考えようとはしなくなる。自らの頭で考えなければスポーツなんてやってても面白くも何ともない。「論理的に考えること」と「実践すること」の両面から取り組むからこそ、スポーツはスリリングで楽しいのである。

押しつけられた練習を半ば強制的に行うような学生スポーツなら、何か別の楽しいことに取り組んだ方が随分いい。苦行に耐えるような学生スポーツのあり方はナンセンスだと、僕は強く強く思うのである。

ラクロス部の彼女たちには「何とかして上手くなりたい」という強い想いがある。
しかしながら、そのための方法を与えてくれるコーチが身近にいない。
技術的なアドバイスはOGや学外の人間に求めなければならない。
つまり、目的を達成するためには日常的に自分たちで考えて工夫する必要がある。

彼女たちは当たり前のようにそれに取り組んでいる。
同志社大学4年時はバイスキャプテンとして主体的に取り組んでいたとは言っても、振り返ってみれば数々のOBやコーチに支えられていた。彼女たちに比べるとずいぶん与えられてきた環境での現役生活だった僕としては、彼女たちの逞しさに驚くばかりである。
こうして合宿に帯同すると彼女たちからたくさんのことを学んでいる自分がいる。

こんな風に書くと、
「おいおい、じゃあこの「お気楽コーチ」はいったい何をしているんだ、結局のところ何もしていないじゃないか」という突っ込みが聞こえてきそうなものである。
仰るとおりにたぶん僕はほとんど何もしていない。
僕がしていることと言えば、それは練習の合間やミーティングなどで気付いたところをちょこちょこ話をしているだけである。

僕にはラクロス経験はないし、ラクロスについてのあれこれを勉強し始めたのは昨年の4月からで、ほとんどド素人と言ってよい。
そんな僕に何を話すことができるのか。
ちょっと偉そうに言えば、それはスポーツ選手としての経験から導き出される心構えや考え方である。

「練習のための練習にならないようにするには?」
「集中力を維持させるコツ」
「プレーや練習ごとに意識を置くポイント」

なんかを思いつくままに話しているのである。お陰様でこれまでの経験で知らず知らずのあいだに身についていたあれこれが、彼女たちの練習を眺めていると次々に湧き起こってくる。それがつい口をついて出る。

もちろんこれらはラグビー経験によるものだからそのままラクロスに通用するとは考えていない。だから僕なりにアレンジを施して、その上でなるべく平易な言葉を用いて話すようにしている。なるべく彼女たちの雰囲気を壊さないようにしながらも、彼女たちだけでは打破できそうにない問題に異なる角度から光を当てて一つの解決策を導くようなイメージを描いて。どこまでうまく話せているのか、そして彼女たちにどこまで届いているのかわからないけれど、わずかながらも手応えを感じているのは確かである。自己満足に過ぎないかもしれないが、僕の話に耳を傾けている彼女たちの頭の上に「なるほど!」という吹き出しが見えるときがあるのだ。

ということで、今年の夏合宿はフル参加で彼女たちの頑張りを見てきた。
彼女たちがそうであったように、僕にとっても充実した4日間なのであった。

リーグは2週間後に始まる。
今からとても楽しみである。
お気楽コーチはあくまでもお気楽に振る舞おうと努めているのであった。