「健康ってなに?」身体観測第77回目。
「健康行動学」という講義を担当しているので、昨年度から集中的に「健康」に関する書物を読んでいる。日常生活でも、「健康」に関する情報をキャッチしようとアンテナを張り巡らせてもいる。ケガに悩んだあのころの経験を思い出して体感的に考え込むことだってある。しかしながら、考えれば考えるほどに「健康」とはなんなのかがよくわからなくなってくる。
健康管理を強く意識し始めたのは社会人になったばかりのころだった。サプリメントの摂取、栄養学に基づく食事制限、アイシングの徹底や試合後のアクティブレストなど、数々の実践を積極的に試みた。月日が経つごとに新たな理論に基づく方法が生み出され、また新商品が開発されるので、健康管理のための実践は増加の一途を辿った。
これらの実践は、言わば身体を機械に見立てたスポーツ科学によるアプローチだけに、十分な効果があったかどうかは今では大いに疑問である。しかし、健康維持のための何らかの働きかけを行っているという手応えには、大きな満足感があった。今から思えばこの満足感は、数々の実践を行っているのだから健康に違いないという思い込みに過ぎなかったのではないかと、「健康」という概念を深く掘り下げてみたことで初めて気付いたのである。
30品目を目標に食す必要があるとか、1日何分以上運動しなければならないとか、健康にまつわる言説は枚挙に暇がない。こうした言説を過剰に意識すれば、実践できない自分への苛立ちから不安が生まれ、やがてそれが強迫観念となる。この強迫観念こそが、実のところ健康を阻害するもっとも大きな要因だと私には思われる。おそらくあの時の満足感は、強迫観念が打ち消されたことへの安堵だったに違いない。
食に関して言えば、楽しくおいしく食べる。できることなら気の合う仲間と。たぶんこれでいい。
<09/07/28毎日新聞掲載分>
健康管理を強く意識し始めたのは社会人になったばかりのころだった。サプリメントの摂取、栄養学に基づく食事制限、アイシングの徹底や試合後のアクティブレストなど、数々の実践を積極的に試みた。月日が経つごとに新たな理論に基づく方法が生み出され、また新商品が開発されるので、健康管理のための実践は増加の一途を辿った。
これらの実践は、言わば身体を機械に見立てたスポーツ科学によるアプローチだけに、十分な効果があったかどうかは今では大いに疑問である。しかし、健康維持のための何らかの働きかけを行っているという手応えには、大きな満足感があった。今から思えばこの満足感は、数々の実践を行っているのだから健康に違いないという思い込みに過ぎなかったのではないかと、「健康」という概念を深く掘り下げてみたことで初めて気付いたのである。
30品目を目標に食す必要があるとか、1日何分以上運動しなければならないとか、健康にまつわる言説は枚挙に暇がない。こうした言説を過剰に意識すれば、実践できない自分への苛立ちから不安が生まれ、やがてそれが強迫観念となる。この強迫観念こそが、実のところ健康を阻害するもっとも大きな要因だと私には思われる。おそらくあの時の満足感は、強迫観念が打ち消されたことへの安堵だったに違いない。
食に関して言えば、楽しくおいしく食べる。できることなら気の合う仲間と。たぶんこれでいい。
<09/07/28毎日新聞掲載分>