平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「一体感」や「つながり」への想像。

気がつけば明日からはもう9月。暦の上では秋の到来だが、まだまだ厳しい暑さが続いている。朝夕は随分と涼しくなったが。

夏休みといいながらなんだかんだとやることが多い。ラクロス部の公式戦が始まるこの時期は毎年バタバタ過ごしているが、特に今年はバッタバタの日々である。ちなみに27日にはラクロス関西リーグの2戦目、神戸学院大学戦が王子スタジアムで行われ、6-6の引き分けに終わった。1部リーグへの昇格を果たすためにはもうひとつも負けられなくなった。この試合もスロースタートで立ち上がりから躓き、まるで借りてきた猫のようにおとなしいプレーに終始。後半終盤の追い上げだけみれば十分に勝てる相手だっただけに悔しい敗戦である。学生たちもそれが分かっているだけに歯がゆく感じているだろう。ただ終わってしまったものをいくら憂いたところで仕方がない。次の試合での奮起を期待し、それをバックアップしていきたいと思う。

翌日28日はオープンキャンパス。例年よりもたくさんの生徒が足を運んでくれたようでよろこばしい限り。ボクが担当した基礎運動能力テスト体験も思いのほか盛況でホッと胸を撫で下ろしている。それから29日はうちの大学主催の対談、岡田武史×平尾誠二「スポーツ力を語る~子どものスポーツからワールドカップまで」が神戸朝日ホールにて行われた。職員さんとともにペアで司会を仰せつかり、やや緊張しながらも滞りなく進行できたのではないかと思っている。「余計なことを話さないようにスムースに進行させよう」という気持ちが強すぎて、やや棒読みな語り口になったのはまあご愛嬌。司会進行って、難しいです。

それはそうと、お二人の話はとてもおもしろく、舞台の袖からメモを取りつつ耳をダンボにして聴き入っておりました。お二人が長らくのご友人ということともあり、息もぴったりのトークがとても耳に心地よく、関西出身なだけにテンポが軽妙で深みのある話も実にわかりやすい。印象に残ったのは、昨年のサッカーワールドカップ南アフリカ大会のお話。本大会前のテストマッチで4連敗を喫したことで、逆にチームが一つにまとまったということだった。あれだけの批判に耐え忍んで結果を残したという風にボクは解釈していたけれど、実際は違った。もっと冷静に淡々と、メディアからの安っぽい物語よりももっともっと深いところで為されていたチーム作りに唸らされた(ま、当たり前なんですけれど。)

サッカー日本代表は、メディアの煽動を受けた世論からこれでもかというくらいのバッシングを受けた。その矛先は当然のように監督に向くわけだが、もちろん選手にだって向く。それが精神的なストレスになる選手だっていたはずだ。グラウンドでのパフォーマンスに影響するほどだった選手もいただろう。ただここでほとんどの選手は開き直ることができたと岡田さんは言う。選手にとってみれば批判を黙らせるには本大会で勝つしかない。つまり「もうやるしかない」と退路が絶たれたのだと。

そこから大会まで1ヶ月半ほどの合宿では怪我人も病人も出ず、体調を崩す選手すらいなかった。なにか結束力みたいなものがグググッと高まってきているのを岡田さんは感じていたようで、心の中では「やってくれるはずだ」と確信めいた期待を抱いていた。今にも弾けそうなくらいにまで凝縮された力が、一戦目のカメルーンとの試合で爆発。そして勝利。と同時に、批判に惑わされることなく結果を出したその瞬間に、チームが一皮も二皮も剥けた。がらりと生まれ変わったのだという。それが、ボクらがテレビにかじりついて観戦した、あのワールドカップの舞台裏だった。

このことを岡田さんはあくまでも淡々とした口調で話されていました。だけど事はそう簡単には運ばなかったと思う(当然ですよね)。退路が絶たれたことを選手に実感させ、心の底から「もうやるしかない!」と思わせるまでに何か仕掛けたことがそこにはあったはずだ。下手をすれば空中分解してしまうほどの批判を浴びながらベクトルを統一し、チームを一つにまとめ上げた手腕はいったいどれほどのものだったのだろう。どういった言葉がけをしたのか。ミーティングの回数は増えたのか減ったのか。チームもまとめるための何か特別なアクションは起こしたのか。各メディアとどういう風なおつき合いをしたのか。などなど、想像してみれば果てしない疑問が湧いてくる。

ここからはボクの完全な妄想、基、想像なんですけれど、結束力みたいなものの高まり、すなわち一種のエネルギーが充填されていく様子をまさに察知していたときは、ワクワクされていたんだろうなあと思う
。「世間はあーだこーだと騒いでいるけど、本番になったらみんなびっくりするぞー」とおそらく感じていたはず。たとえ無意識的にではあっても、そうだったのではないかと思う。批判の矢面に立ちながら悲壮感が漂う指導者に誰がついていくというのだろう。雨後の筍のように出版されているビジネス書なんかでは「一体感」とか「つながり」について言葉巧みに説明してたりするけど、これらの本質的な意味はいくら説明したところで実感することなどできない。人が集まって何かをするときに絶対不可欠な「一体感」や「つながり」、これらの根源的な意味を岡田さんはまさに「体感」していて、その当の本人から話を聴けたのかと思うと興奮せずにはいられない(たぶん肌にビリビリくる感じなんだろうなあ)。


この話を含むお二人の対談を聴いて改めて感じたは、いくら言葉をつなぎ合わせたところで表現しえないものがある、ということ。とは言っても語ったり書いたりすることをやめてはいけない。なぜなら、「言葉では表現できないものがある」という真理を、言葉は表現できるから。「書く」という行為には常に到達できないもどかしさがつきまとう。それでもそのもどかしさを感じることで「到達できなさ」が具現化される。決して届かないけれどここまでは到達することができた、という達成感を感じることができる。その意味で心がすっと落ち着く。意識の置きどころが定まる。だから書こう、書かんと、書かねば。

そんなことを、ここまで書いてきて思う。
さあ明日からは水泳実習です。