平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ちょっとだけ背伸びすること。

いつのまにか改行できるようになってました。

会社と研究室と自宅のパソコンのOSがすべて違うから、

もしかすると改行できなくなった原因はその辺りにあるのかもしれません。

いずれにしても修正できるようになってよかった。

どうもお騒がせいたしました。

初講義やら初委員会やらとにもかくにも初物尽くしで過ぎ去った1週間がやっと終わったかと思えば、また明日から1週間が始まろうとしている。

ホントに時間が経つのは早いものである。

「あれもこれもしないといけないな」と思うといささか憂鬱になるけれど、

「あれもしてやろうこれもしてやろう」と思い直すと随分楽になる。

ということは百も承知しているのに、気がつけば「…しないとアカン」と眉間にしわを寄せながら考えている自分がいる。

こうあるべきだというイメージに沿わそうとして自分で自分を苦しめている。

わかってる「はず」なんだけどできないのは人間の性か、もしくは僕の小心さか。

いずれにしても一つだけ確実に言えると思うのは、

「あまりに身の丈に合いすぎたことば」に囲まれるとあまりに現実的過ぎて神経が尖ってくるから、これから目指すべきところを指し示す「ちょっとだけ背伸びしたことば」に触れることが肝だということである。

朴訥に「世界平和のために生きる」と言われたところで何も響かないけれど、

生活費を稼ぐためにつらい仕事に従事しているなどという現実を粛々と生きる人が自らの生き様と関わらせて語ることによってこうしたことばには心が込められる。

あれこれ考えていても明日はすぐさまやってくる。

明日がやってくればまたいつもの生活に放り込まれて汗をかいてる自分がいる。

そして休みになればまたあれこれを考えている。

おそらくそうした繰り返しの中で何かが変わっていくのだろうけれど、

自分が変化するためには「ちょっとだけ背伸びしたことば」が

重要な手掛かりになるのだろうと思う。

つまり、「ちょっとだけ背伸びしたことば」であれこれ考えることで

将来の自分が創られていくのではないだろうかと思うのだ。

あまりに現実的なことばばかりでは自分の存在がどんどんぼんやりしていくばかりでちょっと怖いから、「オレはさ、こんなことを想ってるんだ」と現在の自分からちょっと離れたところでことばを語ることでその恐怖をいなすことができるんじゃないかな。

ものごとを現実的に考えることと夢想的に想像することは相反するけれど、

たぶんというかぜったいにどっちも大切なことであって、そうした両者を行き来するような物語を編むことが僕らの生そのものなんだと思う。

つーわけで明日からもまた頑張りますかー!