平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

“身体の要”だから「腰」なのだ。

先週末は何がなにやらわからないままに終わってしまった。

激しい腰痛に見舞われた挙句に高熱にうなされて、ベッドに横たわりながら文字通りヒイヒイ言うておりました。
やるべき仕事もままならずSCIXラグビークラブの練習も休み、さらには事務所の撤去作業を手配しときながら立ち会うこともできず、武藤さん宮田さんにすべてをお任せ(本山くんもありがとう)。そんなわけだからもちろん芦屋スタジアムでの最終戦にも涙をのんで参戦せずにじっと回復を待っていたら、日曜日になってようやく回復の兆しが訪れて、兼ねてから楽しみにしていた「身体性の教育」(甲野善紀内田樹、島崎徹によるトークセッション)には、何とか足を運ぶことができたのであった。

それにしても何だったのだろう。あのしんどさは。
歩くのもつらかったからなあ。
と、まだ全快というわけにはいかないにしても、ひとまずこうしてブログを更新しようという気持ちになっているだけで、そりゃあもうすっかりとよくなっているわけでして。

各方面の方々には多大な心配をおかけしましたことをここにお詫び申し上げます。
大変申し訳ありませんでした。おそらくもう大丈夫です。
I川様、校正の遅れも今日から取り返したく決意しておりますです、はい。

それにしても、久しぶりにお会いした甲野先生の姿を眺めていると、曲がった腰も少しは伸びたようである。
トークセッション後は内田先生宅にて、有志による座談会(?)が開かれたが、これがまた最高に刺激的な場となった。なんせ、みんなで和気藹々と話す中で、ふと甲野先生の携帯電話にかかってきたのがなんとあの雀鬼という異名を放つ桜井章一氏だったりして、もうそのことだけでその場にいたみんなのテンションが一気に上昇。甲野先生の口から語られた桜井氏のエピソードの数々に一同驚愕。おおーっ!

久方ぶりにお会いする甲野先生にはぜひお手合わせ願いたいところではあったが、なんせこれほどまで腰が立たない状態ではいかんともし難く、ここでも涙をのんで「すみません」と頭を垂れたのであった。

最近では、スパイクを履かずともアップシューズで走ってもステップを踏んでもほとんどというかまったく足を滑らすことがなくなったので、そのあたりのことを話したかったのであるが、あまりに不自由な身体に心までがんじがらめになっていたのか、結局話さず終いにおわる。「これを話そう!」と前のめりになったことほど、深層心理において実はそれほど話したいことではないんじゃないかと思い始めているこの頃なので、名残惜しい気持ちはほとんど皆無ではあるが。その場の流れに乗っかる中で口を突いて出てくることばにこの身を委ねてみるのはとてもすがすがしいことは既に知っているから、ふんわりやんわりとした空気に包まれて一人恍惚を感じていたのであった。

トークセッションで語られた話の中で、掘り下げたい内容の話はいくらでもある。
が、それらを一気書きするのはどうにも気が引けるし、第一そんな軽薄な行動はできるはずもないのでもったいぶってしまうことにする。島崎さんの「板前100人」も、内田先生の「『矛盾』ということの解釈」も、甲野先生の「感覚と集中の関係性」も、またの機会に。