平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「いつのときも笑いながら」を目指して

朝目覚めてから何にも予定がない一日が始まり、気がつけば日が傾き始めている。

朝から、朝日新書より出版される内田先生との対談本の再校ゲラとにらめっこしたあとに、ふとコーヒーが飲みたくなって、しかも自分ではなく誰かに煎れてもらったおいしいコーヒーが飲みたくなって、読みかけの本を持って家を出る。焼けるような日差しをなぜだが心地よく感じながらテクテクと歩いて、駅前の喫茶店にたどり着くとシャッターが下りていた。そのシャッターにはお盆休みのお知らせと書かれた紙が貼り付けられてあり、今日からお盆に入ったことにハッと気がついたのであった。

昨日は神戸親和女子大学オープンキャンパスに足を運ぶ。
神戸親和女子大学では来年から発達教育学部にジュニアスポーツ教育学科ができるので、それを記念して平尾誠二さんが「スポーツの楽しさを語る」というテーマで講演されたのである。MBSのアナウンサーである八木早希さんのインタビューに応えるかたちで、自身の経験を交えながらのユーモア溢れる話にうんうんと頷きながら話に聞き入る。

「一所懸命になれることに出会う」ことがスポーツの楽しみの一つだろうと平尾さんは言っておられた。

人の人生において、すべてを投げ打ってでも一所懸命に打ち込めるものを持っている人と持っていない人のあいだには千里の径庭がある。一心不乱になって集中力を発揮できるもの、それは必ずしもスポーツに限ることはないけれど、身体を目一杯に使って表現することがスポーツであるとするならば、これほど単純明快に充実感を味わえるものはないだろう。現在のスポーツは、勝利至上や数値主義といういささかの偏向が見られるので、全くの手放しでスポーツを礼讃することはできないにしても、これほどまでに日常生活で身体を使わなくなった社会を見渡せば、スポーツが持つところの単純明快さは評価に値する。とにかく身体を使わなければ何も始まらないのだから。

とは言っても、単純にスポーツに没頭するだけでは、お決まりのように勝利至上へと突っ走ってしまいそうになる自我を抑えるのは難しい。とても難しい。指導者や親などの環境からの影響を大きく受けるからである。勝てばよい、結果を出せばそれでよい、そうした勘違いは百害あって一利無しであると思われる。とくに小学生や中学生、高校生くらいまでのあいだに、結果論的なスポーツを刷り込まれてしまうと、スポーツは苦役に近いものとして幼心にインプットされてしまう。全国大会などの大舞台を前にしたときに襲いかかってくる、「勝たなければならない」「いいパフォーマンスをしなければならない」というプレッシャーは精神的に相当キツイ。目に見える結果に執着するがあまりに、怪我をしたときには自分に対する無力感が湧き起こり、これもまた精神的には相当キツイ。未だ成長途上でデリケートな心を持つ子どもたちが、こうした精神的なプレッシャーを受ければどうなるのか。ただ想像するだけでも心が痛む。

子どもが一所懸命に打ち込むのは、それが好きで、楽しいからである。
時間を忘れてのめり込むのは意欲があるからである。

「しんどいことを乗り越えることで成長するんだ」と、いくら声高に叫んでみたところで子どもはなんのこっちゃわからないだろう。大人には過去に培ったある程度の経験があるから、うなずくことができるかもしれないが、子どもはちんぷんかんぷんなのである。経験していないのだから当然だろう。

だとすれば大人のすべきことは一つとなる。しんどいことを乗り越えたところに、そっと「楽しみ」を置いておくこと。もし、目の前にあるしんどいことを乗り越えれば、その先には今感じているよりももっと楽しいことがあるに違いないと、子どもに感じさせることである。

こうやってことばで書くのは簡単だけれど、実践するとなればとことん難しい内容であることは百も千も承知である。でも、目指す方向としては決して間違ってはいないと思う。

講演での平尾さんの話の中でも出てきたし、僕の敬愛する内田先生は繰り返しおっしゃっているが、しんどさの向こう側に「楽しみ」を感じさせるための具体的な取り組みとして、僕の中で確定していることが一つある。それは「先生がおもしろい」ということである。

「あの先生(もしくはコーチ)、いつも楽しそうやし、何かオモロそうやな」と子どもに感じてもらえる大人になること。先生としてとか、指導者としてとかではなく、一人の人間としてオモロそうな人物になること。それだけはおそらくこれからもブレない。

「それがいちばん難しいことやん!」
いやー、おっしゃる通り。
でもまあ、目指すことは誰にでもできるから、とにもかくにも目指してみますかー、と思い立っている。

目指す途中で幾度となく思い知ることになる、理想と現実のギャップはとても苦しいものだろうけれど、まあ何とかなりますよ、たぶん。
その辺は限りなく楽観的に考えないとオモロそうな先生にはなれないな、たぶん。

オモロイ人間というのはとにもかくにも自身が楽しんでいることが大前提なので、いい映画を見たり、エキサイティングな本を読んだり、気の置けない仲間と食ったり飲んだり、ラグビークラブの選手達と共にラグビーしたり、麻雀したりして楽しんでおけばええんちゃうのと、呑気に考えている次第ではありますが。