平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「本当にあったアタックNO.1」に物申す。

そう言えばこの前、『合気道ラグビーを貫くもの』を読んで合気道を始めようとしている後輩がいることを、ソイツとはまた違う後輩から聞いた。
本を読んでくれただけでもうれしいのに、合気道をやってみようという気になったというのだから、これは喜ばずにはいられない。

ソイツはどうやら新大阪辺りの道場を訪ねたらしい。
ちょっと心配しているのは、一口に合気道といっても、師匠からの無言の圧力を察するように勝手に転ぶ弟子の前で偉ぶっている師範も少なくないと言うから、じっくりと見極めてから入門しないと本に書かれてあるような身体の錬磨を目的とした稽古は望めないから気をつけた方がいい。もしあれなら話は聞くからいつでも連絡してこいよ、うん。

とまあ話は変わって、先ほどまで8チャンネルで放送していた「本当にあったアタックNO.1」では、やはり根性論に偏った指導が展開されていて、身体に潜むポテンシャルをじっくりと開花させるような仕方ではなく、外側からの指導によって半ば強引に能力をアップさせるような仕方で指導がなされている。
たとえ理不尽にツライ練習であっても、それを乗り越えることができれば自信が芽生えてくるのだから、とにかくキツイ練習を強いる指導というのは短期的には好結果が出るだろう。
けれど、一選手の競技人生もしくは一人間としての成長という見方からは、そうした短期的な練習や稽古は自主性や創造性を損なうのではないかという懸念は拭えない。自分の外側からの指図に頼り切ることで「待ちの姿勢に慣れる」という弊害は必ずあると思うからである。

だからといって何から何までを選手自身に決めさせたり、目的を必要以上に明確にして練習をさせるというのもまた違うのであって、どこまでを考えさせてどこまでを考えさせないかという絶妙なさじ加減が指導者には求められる。
それは、合気道であってもラグビーであってもバレーボールであっても同じことだろう。
生徒や選手に関わる人間つまり指導者の構えが指導の根幹をなす。
ということは、「何を習うかよりも誰を慕うか」がとてもとても大きな問題になるのはいわずもがなで、とにかくオモシロそうにしている人にすり寄っていくのが一番なのである。

ここまでさんざ言いたいことを書いてきて言うのも何だが、件のテレビ番組は恣意的な物語が設定されていることはほぼ間違いないので真剣に考えるだけ誠にアホらしい。それでもあの番組を見て「スポーツ指導はかくあるべきだ」なんて勘違いする大勢がいることを思えば、「あれはおかしいやろ」という一言は添えておく必要があろう。

あの「サボるキャプテン」というのは決して実際ではなく、テレビ側が付けたキャッチフレーズなわけだから、どこまでが真実なのかなんてわかるはずもなく、ホントにサボっていたのかどうかさえも嘘くさい。

物語の編まれ方があまりにも単純で、視聴率をゲットするための魂胆が見え見えのテレビは、ホンマに吐き気がするくらいに気持ち悪い。
番組から求められた内容のコメントをさも白々しく話してるタレント陣は、なんだかこちらが恥ずかしくなってきてしまう。
スポーツはそんな単純なもんちゃうねん!

とか言いつつも実はこの番組にはバレーボール協会も協力的だろうから、こうして批判しようが所詮はバレーに関係のない元ラグビー選手の戯言に過ぎないことは百も承知しているのであるが。ふうー。

とってもやりきれないモヤモヤ感が残ってしまったので、それをスッキリさせるべくここいらで【幸福温泉】(歩いて5分のところにある昔ながらの銭湯)にでも行ってゆっくりお風呂に浸かって寝ることにする。