平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「自制の精神あればこそ」身体観測第39回目。

ラグビーのルールは複雑である。たとえばオフサイドという反則はサッカーでは1種類しかないが、ラグビーだと状況に応じて細分化されている。すべてを理解するまでにはそれなりの時間を要する。

だが、試合を観る側からすれば複雑なルールも、選手側からはそれほど難しくはない。私が経験者であることを差し引いて考えたとしてもそのように思う。というのは、極めてボール保持者の自由度が高いからである。ドリブルする必要がないために思うがままに走り回ることができるし、相手選手との接触が許されているために思い切りぶつかることもできる。もちろんキックもできる。極端に言えば前方へのパスやスロー以外は何をしたって構わない。プレーの選択肢は幅広く、身体を伸び伸びと使って動き回ることができるのである。

ディフェンスにしてもそうである。首から上へのタックルを除けば、身体をぶつけて相手の突進を阻止することができる。

総じて選手の自由度は高い。だからこそ選手個々には自制の精神が求められる。

タックル成立後にボールを奪還(確保)しようと両チームの選手が折り重なっているラックでは、「それ以上プレーすれば反則になるよ」というレフリーからの声を聞いた選手が、「これ以上はプレーしません」と両手を挙げてアピールしているシーンをよく目にする。これが意味するところは、反則を犯すまでプレーを続けるのではなく、レフリーの判断を尊重しつつ最大限のパフォーマンスを発揮しようとする意志の表れである。ラグビーにおけるルールは、選手を裁くのではなく、選手の自制を促すことに重きを置く。

試合中に選手とレフリーが会話しているシーンをよく見かけるのはそのせいである。複雑なルールという縛りの中で、自由に動ける選手がいかにして高いパフォーマンスを発揮するのか。それはレフリーと選手の意思疎通によって初めてもたらされる。

<07/12/11 毎日新聞掲載分>