平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「公正さを保つということ」身体観測第40回目。

国際ハンドボール連盟が、男女ともに北京オリンピックアジア地区予選をやり直す決定を下した。近年のアジア地区予選では中東地域のチームが有利になる判定が横行しており、その事態を鑑みた日本と韓国が改善を唱えた要望書を提出。オリンピック代表国を決める大会がやり直されるという異例の出来事には、驚きすぎて声も出ない。

ハンドボールに限らずとも、ほとんどのスポーツにはレフリーの不可解な判定はつきものである。

今年9月に行われたラグビーW杯で優勝候補のニュージーランドが敗れた試合では、トライに繋がるプレーの中でフランスのミシャラクが放ったパスはスローフォワードではないかと話題になった。スローVTRで見ると確かにそのように見えなくもないが、だからといって再試合を求める声は聞こえてこない。

昨年のワールドベースボールクラシックにおける日本対米国戦で、ボブ・デービッドソン主審の判定を巡る一連の騒動が物議を醸したのは記憶に新しいところ。塁審により最初に下された判定が、主審の判断で米国が有利になるように覆ったことに日本側は抗議したのである。結果としてこの大会に日本が優勝したことで、事態の印象はやや薄まったものの、その内容からは世紀の誤審であることに変わりはないだろう。だが、もし日本が敗退していたとしても、もう一度試合をやり直すかどうかの議論にまで発展することはなかったと思われる。

スポーツの楽しみにはレフリーが下す判定の可否を「密かに」論じることも含まれる。ただし、レフリーの笛に公正さが宿っていなければそれは絵に描いた餅となる。作為的なレフリングをわかっていながらこれまでプレーしていたハンドボール日本代表選手たちの心境はいかなるものであったのか。想像するだけでどうにもやりきれなくなる。この決定を機に公正さが回復されることを、ただただ望むばかりである。

<12/25毎日新聞掲載分>