平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

煩わしさを愛でることに。で、あと4日。

余白やポイントをいじくる、いわゆる様式を整えるのは本当に面倒くさい。
でも着々と出口に向かって進んでいる。
そう実感できるからいくら作業が煩雑でも今は清々しい。
おそらく明後日にはきちんと印刷されて積み上がった姿を拝めることになる。

あとちょっとだ。

これで3つめの論文となるのだが、
毎回苦労するのがAppleWorksで作成したファイルをWordにコピペして、
それから様式を整える作業である。
最初からWordで作成していればそんな手間は省けるのだろうが、
僕のMacにはWordがない。もちろんのことながらExcelもない。
そもそもOfficeがインストールされていない。

これからのことを考えるとこの問題は何とか解決したい。
Macで論文を書いた後にWindowsで引用を示す番号を小さく上付けにする作業は、面倒くさいったりゃありゃしないから。

とは思いつつもなんだか気が乗らないでいるのは、
長年親しんできたこの環境を変えることに抵抗を感じるからである。
この間でこの滑らかなフォントで書きたい気持ちがどこかにあるんだなあ。
少々どころかまったく不便なスクロールにも慣れたことだし。

Windows PC買う?買っちゃう?
でもどうせ買うんならMacBook Airが欲しいし、それならOfficeも買わないといけなくてそしたらPC自体を買わなくてもいいって話で、うーん、どうしよ。
っていうか先立つ物のことを忘れとるわな、完全に。

やっぱり現状で何とか間に合ってるあいだはそれでよしとせんと。
何事もスムーズに行えて便利になればええっちゅうもんでもないっしょ。
「どげんかせんといかん」こともない問題です、これは。