平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「折りたたみ傘」考。

天気予報によれば夜になると雨が降るらしいけれど、

今は「ほんまかいな」と疑わずにはいられないほど快晴だ。

昼過ぎには家を出て大学に向かい、

夜はそのまま【別館牡丹園】に訪れる予定なので、

天気予報に従えば傘を持って出かけないわけにはいかないのだろうが、

これほどの天気なのに傘を持つことが憚られてならない。

というかゼッタイに持って出ないだろう。

「折りたたみ傘」をカバンに忍ばせておけばいいだけの話だが、

残念ながら僕はそんなめんどくさい物を持っていない。

何がめんどくさいかってまさに折りたたむ時のあのシワくちゃ具合がそうだ。

きちんと畳みたい気持ちとは裏腹にどんどんシワくちゃになっていくのが、

どうにも許すことができない。イラッとくる。

傘をたたむ時に感じる「イラッと」をこれまでに感じ続けて、

それがどうしてもいやになって、

いつのまにか我が家から「折りたたみ傘」は姿を消した。

不意の雨を防げたときには「持っててよかった」と感謝されるも、

いざ雨が上がるとひとまずグチャグチャにしまわれて、

体積が3倍ほどに膨れあがって嵩張るからとめんどくさがられる。

折りたたみの傘は誠に理不尽な扱いを受けている。

いや、もしかするとそういった扱いを受けているのは僕からだけかもしれない。

すまぬ。でもあの「イラッと」はどうしようもないのだ。

だから不意の雨に降られても文句は言わない。

最寄りの駅からならば小走りで走って帰るし、

連れがいるときは相合い傘で凌がせてもらうつもりだし、

土砂降りならば近くのコンビニに駆け込むさ。

・・・。

しかしなんだか、

こうして書いているとどんどん「折りたたみ傘」が愛おしくなってきた。

これまでは煩わしさの象徴だった折りたたみ傘の存在が、

やたらと健気に思えてきた。

確実に積年の気持ちが薄らぎつつあるのは間違いない。

普段は目立たないもののここぞと言うときにその存在が際立つもの。

「折りたたみ傘」はまさにそうだ。

普通の傘は雨が降っても降らなくてもその存在がふてぶてしい。

これ見よがしに雨をよけるし、僕の片手を容赦なくふさぐ。

だから晴れているときには極めて邪魔になり、

ふと立ち寄った喫茶店の傘立てに置き去りにされたりする。

存在のアピールが過ぎるゆえに結果的に忘れられるというのは、

なんとももの悲しい。

それに比べ「折りたたみ傘」はカバンの奥底で半ば忘れられている。

いざ雨が降ったときにだけその存在が際立ち、その効果を発揮する。

そして雨が止めばまた元のように形を潜めていく。半ば邪魔者扱いされながら。

なんと、「折りたたみ傘」ってめちゃめちゃかっこいいではないか。

何年かぶりに「折りたたみ傘」を購入してみようかという気になってきた。

それにしても今日もいい天気である。