「強い個」への盲信。
他球団から4番とかエースを金に糸目をつけずに補強しまくったジャイアンツが
開幕5連敗を喫し、そして今日も負けたようである。
各選手の打率やホームラン数、勝利数や球速などからすれば圧倒的な戦力である。
ドラゴンズを選んだ一人を除いたすべてがジャイアンツの優勝を予想していた。
そりゃそうやわな。
スワローズからは昨年度最多勝のグライシンガーと打点王のラミレスを、
ベイスターズからは日本球界最速記録保持者のクルーンを獲得したんやから。
戦力的にはダントツに抜けていると判断したって誰も文句は言うまい。
でも、数字の優劣をもとにして数字の多寡で選手を獲得したチームがコロッと負ける姿を見るのは、何だか気持ちがいいのはなんでやろ。
「人間は数字で計れるもんちゃうねん」という無意識的な心の叫びの落ち着き先が見つかるからかもしれないなあ。
戦力が大幅にダウンしたスワローズを相手にジャイアンツが3連敗したということから汲み出しうる教訓は、「強いチームをつくるためには強い個が必要である」というイデオロギーへの過度の依存はこの辺りでひとまず見切りをつけましょうよ、ということではないかと思う。
「強い個」というのは確かに必要だろうと思う。
そのことには何ら異論はない。
だけどその限りでもない。
いちばんの問題点は、このときの「強い」が意味する強さが数字の優劣のみによってしか判断されていないことにある。
打率、ホームラン数、打点、勝利数、セーブポイントなどの誰の目からも明らかな数字という能力査定によってのみ個の強さを決めていることがそもそもおかしい。
4番打者が活躍できるのは勝負強い5番打者がうしろに控えているからだったり、
先発投手が伸び伸びと投げられるのは絶対的な守護神の存在が大きかったり、
そういった目に見えない絡み合いという言わば人間くさいつながりがあるから個人が活躍できるということだってあるはずである。
なのにすべてを個人の力で成し遂げたかのような見方をするのはやはりおかしい。
「強い個」という概念には必ず他者が入り込んでいる。
アイツのためならどんなことでもできることの強さを抱え込むことで
初めて自分は強くなれる。
僕はそう信じて止まない。少なくとも僕の身体はそう信じている。
だから、昨日今日に出会ってお互いを知り合わないままプレーしたって結果は出ないんとちゃうかなあと思う。
結局のところシーズンが終われば「やっぱりジャイアンツは強かったなあ」となるかもしれないが、そんなことはもうどうだっていい。
説明するのにたくさんのことばを必要とするような極めてセンシティブな能力への軽視という風潮が、スポーツ界で少しでも弱まってほしいと思う。
そうした風潮を作り出している直接的な原因は何やろかと考えていくと、
直感的にはスポーツジャーナリストたちのことばが思い浮かび、
「史上初!」を無理矢理作り出すような仕方で過去のデータを引っ張り出してきてこれ見よがしに身贔屓的な記事を書くスポーツ新聞の記者たちもそれを助長しているようにも思えてきて、ニンともカンともな気持ちになる。
今日はもう寝よう。