平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「『語るスポーツ』へと」身体観測第46回目。

時が経つのは早いもので現役を引退してから1年が過ぎようとしている。引退してすぐの頃は身体の変化が激しく、一時は10kgほど体重が落ちた。捻ったわけでもないのに突然腰痛に襲われて歩けないほどの痛みにもがき苦しんだこともあった。今から思えば、ほぼ毎日身体を動かしていたのにある時を境にほとんど動かさなくなったのだから、身体に何らかの変調を来すのは当然のことであろう。

こうした身体の変化と同調するようにして、僕自身のラグビーに対する見方も変わっていったように感じる。分析的に見がちだった現役の頃に比べると今では明らかに試合を見ることが楽しく、試合後にはかつての先輩相手に侃々諤々と話し込むことがしばしばある。「やるスポーツ」だったはずのラグビーが、ふと気がつくと「見るスポーツ」になっていた。

とは言っても、ラグビー指導をしている身としては完全に「見るスポーツ」へと移行したわけでもない。中高生を指導しながらも練習内容によっては一緒にプレーするし、明らかに身体が動かなくなったわけではないので、気持ちの上ではまだまだ「やるスポーツ」としてラグビーはある。かつての動きにはほど遠いけれど、現役時とは質の違う動きを追求したいという野望はこれからも持ち続けるだろうし、あくまでも選手目線からの指導を目指す意味においてこの「まだまだやれる」という根拠のない自信は手放さずにいたい。

そうだとしても、今や僕にとってのラグビーが「見るスポーツ」の度合いを増しているのは否定しがたい事実であり、そしてどんどん「教えるスポーツ」になりつつある。それはつまりのところ「語るスポーツ」になったとも言えよう。こうした変化は、やがて引退時期が訪れるスポーツという営みが選手にもたらす必然的な経過であろう。かつての自分がやってきたことを知るためにも、引退後の選手は節度を保ちながらスポーツを語らねばならないと思っている。

<08/03/25毎日新聞掲載分>