平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

大学生活が始まって。

昨日から大学での生活が始まっている。

春学期は集中講義を含めて実技系の講義が4コマ。

それと基礎演習の1コマを合わせての5コマを担当している。

基礎演習と言っても1年生を対象にしたものなので、レポートの書き方やレジュメの作り方など学生生活を送るにあたってとりわけ必要なスキルを教える科目となる。

今日はその1回目。

学生同士もほとんど初顔合わせなので1時間かけて自己紹介をし合う。

そのあとは大教室に移動して学生担当からのガイダンスが行われ、学生生活において気をつけなければならないあれこれの説明がなされる。

マルチ商法」「インターネット取引」「キャッチセールス」などには気をつけるようにとの話に僕もうんうんと頷いていた。

 

なぜ頷いていたのか。

 

マルチ商法」のあくどさとか、「インターネット取引」をする際の注意事項とかを、この年齢になって今更ながら理解するほど世間知らずではない(つもりだ)。

これらの問題について十分にバリアを張っておくことは、社会に出て生活している人間にとってはまるで当り前のこととしてある。

 

しかし、学生たちは知らない。

という書き方は正確ではなくて、「もしかするとどこかで耳にしたかもしれないけれど切実な問題としては捉えることができていない」のである。

だから敢えてことばではっきりと伝える必要があるのである。

 

思い返せば社会人一年目のとき、僕は「マルチ商法」に引っ掛かりそうになった。

「近い将来、必ず光ファイバーによるネット通信がメインになります。

ですから、光ファイバー網が敷設される前に権利を購入しませんか?」

という話にまんまと乗せられかけた僕は、友だちひとりふたりに話を持ちかけた。

確か30万円弱だった頭金を払いそうになる寸前になって周りの雰囲気を感じ取って、きっぱりとやめた。

いやいや、もしかするとそのように記憶しているのは僕だけであって、周りから執拗な説得を受けたのかもしれないがその辺の記憶ははっきりしていない。

とにかくギリギリのところで踏みとどまったのである。

 

学生担当の話を聞きながらそんなことをふと思い出して、

なるほど、僕にとってすでに骨肉化している常識についても一つ一つことばにして教えていく必要があるのだなということに深く納得してふむふむと頷いていたのである。

 

自分の身に付いたあれこれ一つ一つをことばに置き換えていく作業は、

ときに自分が解体していってしまうかのような錯覚に陥ることもあるけれど、

何かを教える立場にいる人間にとっては必要なことなんだろうと思う。

スポーツでいえば、現役選手はパフォーマンスで勝負すればいいが、指導者は身に付いたスキルを選手に伝えなければならないということだろう。

そしてこのときには必ずことばが伴うことになる。

 

自分自身が解体していきそうなことへの「不安」と、身の回りのあれこれがことばに置き換えられていくときの「高揚」がせめぎ合っている。でもやっぱり「知る」ことは楽しいから「高揚」が「不安」を凌駕する。

 

明日の朝はラクロス部の練習を見に行く。

SCIXラグビークラブの指導に加えてラクロス部の顧問になったからである。

次々と新しい局面が訪れる今の生活に慣れるのにはしばらくかかりそうである。