平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

居眠り御免。

どうやら本を読みながらうつらうつらしていたようである。

大学に入って2カ月もたてば研究室の居心地にも慣れてきて、
かなり集中して本が読めるようになった。
ひっそりと静まり返る研究室内とは対照的に外ではテニス部がボールを打ち合い、それに加えてバスケ部のドリブルやバレーボール部の掛け声が響き渡っているものの、それらの音はボクの集中力をなんら妨げるものではなくむしろBGMのように後押ししてくれる。
自分は大学にいるんだという自覚が生まれ、大学は研究をするところであるという無意識に刷り込まれたものが暗示として作用しているからかもしれないけれど。

集中できるということは、それだけリラックスできているということでもあろう。
「意識を一点に集めることではなくて拡散させることが集中である」とかいうようなことを、甲野善紀先生との共著である『賢い身体 バカな身体 』(講談社)の中で桜井章一が述べていたことをふと思い出し、読みながらにも「なるほど」と納得したのだけれど、こうして書きながらにまたもや深く得心した次第である。
これは武道における「居着き」についての考え方にも精通しており、身体のどこか一ヵ所に頼った動きを武道は徹底的に忌避する。
こうした考え方はそのまま「思考する」という行為にも置き換えることができ、たった一つの考え方に頼った言動には過剰な暴力性が内包されてしまう。
これがゆき過ぎれば「原理主義」ということにもなってゆくのだろう。

とらわれもなくただぼーっと本を読むことができている今はとても好ましい環境なのであるが、いかんせん研究室にはボク一人だけしかいないので周期的に襲ってくる睡魔に抗えない状況であるとも言える。
なので、さっきのように少しだけ意識がなくなって、
その分だけ日が傾いているといった事態も起こり得るのであった。

さてと、先日のラジオ出演の話を少し書いておくことにすると、
原田伸朗さんのやわらかな雰囲気がとても話しやすくて、特に緊張するわけでもなく話をすることができたので楽しいひと時を過ごすことができた。
アシスタントの遠藤さんが大学時代から平尾誠二さんのファンで、ラグビーの話が通じたということも、ボクにとっては好ましいことであった。
その時の様子がラジオ関西のホームページに出ているので、よかったらどうぞ。
(→http://jocr.jp/konnichiyo/index.html

いやいや、でもラジオっていいなあと思った。
テレビだとちょいと緊張する部分もあり、腰を落ち着けてじっくり話すということができない上に恣意的な要求に憤懣やるかたない気分にもなりそうなもんだけれど、ラジオだとその部分が少し薄れるような気がしないでもない。
「聴きやすい声だったよ」という周りの声に素直に喜んでしまって舞い上がっている自分も無きにしもあらずだけれども、また出たいなあと思ってしまった。

またの出演依頼、是非にお待ちしております(営業、営業っと)。