平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「トレーナーの存在」身体観測第54回目。

 スポーツ選手にとってトレーナーの存在がいかに大きいかということを、今さらながら実感している。良くも悪くも選手に与える影響力は計り知れない。選手のコンディションを整えることが目的なのだから、当然といえば当然なことではある。

 選手は怪我をすればまずは病院で診察を受ける。レントゲンやMRI(磁気共鳴画像装置)などの結果を元に治癒までの見込み期間について医者の総合的な判断を仰ぐ。たとえば足首の捻挫だとすれば、捻った際に痛めた靱帯の損傷や患部の腫れ具合、受傷部位とそのスポーツにおける競技性との関連などから、「1週間安静にした後に約3週間後に復帰できるだろう」との診断が下されたりする。

 機械をばらすようにネジを外して患部の状態を調べられないのだから、ひとまず医者の見識と経験に頼ることになる。しかし、医者による診断はあくまでも目安にしかならない。同じ身体はこの世に一つとして存在しないからである。したがってこうした医学的見解に基づき、選手個々の状態を考慮しながらグランドへの復帰をサポートするのがトレーナーの役目となる。

 リハビリメニューを組み、ときに痛みが増したりしながら時々刻々と変化していく身体の状態に合わせて微調整をも行う。こうした細やかな配慮は、フィジカル的な回復の実感が得られるという意味でももちろんそうだが、怪我で戦列を離れていることのストレスとパフォーマンスが元に戻ることに対する不安をも薄めてくれるので、とても心強い。自らの回復を心から喜んでくれる存在は、復帰までの期間を確実に縮めてくれる。

 トレーニング方法やリハビリ手法に加え、人としての繊細さを併せ持ったトレーナーが身近にいれば選手はどれだけ心強いだろう。独自の理論を押しつけるのではなく選手と会話のできるトレーナーが、スポーツ界にはもっと必要だと私は思う。

<08/07/29毎日新聞掲載分>