平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

僕にとってのサザンオールスターズ。

北京オリンピックが閉幕した日、僕は横浜の地で熱狂の渦に巻き込まれていた。
そう、サザンのライブに行ってたのであーる。

無期限活動休止宣言すると聞いてしまったらたとえ横浜であってもいかないわけにはいかないだろってことで、悪友2名とともに足を運んだのである。
まあ正直なところは、ファンクラブに入会するほどにサザンを愛してやまない彼からの積極的参加の呼びかけがあったおかげで足を運べたのだが。
おそらく一人ではチケットを取ることも愚か、行こうという気にすらならなかったと思う。
たぶん、横浜であるということで端っから諦めていただろうからである。
「なんだ、その程度のファンなのか」と言われたところで余計なお世話である。
サザンのことを大好きなことには変わりなく、
ただ出不精なだけなのだ(と開き直る他あるまいに)。

今となっては声をかけてもらったことに感謝感激雨あられである。
ホントによかった。ありがとう。

後から知ったのだが4日間で動員したのが約30万人らしい。
それだけの人に足を運ばせるものがライブにはある。いや、あった。
横浜スタジアムのあのステージに確実にあったと僕は思っている。

サザンは今年で30周年を迎えた。
30年という月日を振り返ってみると、これまたとても果てしない。
「僕が3歳のころからか…」という単純に想像してみても、これまた果てしない。

涙のキッス」を聴けばふと中学生の頃の、
ここでは書けないほどに甘酸っぱい記憶が甦ってくる。
「忘れられたBIG WAVE」にしてもそうだ。それなら「YOU」か。
いやいや「栞のテーマ」の出だしの「彼女がか~み~をゆ~び~で♪分けただ~け~♪ それが~しび~れる~仕草ぁ♪」に本気でドキドキしてたことだってあったぞ。うん。

こうして書いていけばキリがないほどに学生時代をともに過ごしたあの曲やこの曲が思い出されてくる。当時の泣き笑いを引き連れて記憶の彼方から訪れるあの曲やこの曲をライブで聴くのは、とにかく幸せだ。このライブで実に切なく感じていたあの幸せな感じは、学生の頃に通い詰めた定食屋や中華屋やお好み焼き屋のおっちゃんやおばちゃんとことばを交わしたときの安堵感にも似ている。曲を聴いてるときにも話をしている時にも、意識の中にふと立ちあがってくる「あの時」の僕の傍らには、サザンもおっちゃんもおばちゃんも天津飯もあるのだ。

こうしたことと相反するかもしれないけれども、なんかオモシロいなあと思うのは、ライブに訪れた3人ともがタイムリーには聴けていないはずの初期のころの曲たちの方がお気に入りという事実である。3人揃ってなんでなんやろうなあと、翌日、帰りの新幹線の中で考えていたんだけど、これといった答えは出なかった。でも今になって「もしかして」と思うのは、サザンを聴いているうちに、自分たちが過ごしてきた過去への想像力がたくましくなったのではないだろうかということである。サザンにどっぷり浸かることで、サザンとともに歩んできた過去の記憶が、知らず知らずのうちにより過去へと伸びている。タイムリーには聴くことができなかった曲であっても、もしかして聴いていたんじゃないかという錯覚が、あまりにどっぷりと浸かることによってどうにも錯覚という範囲内に収まらなくなってしまっている。そうして創られた記憶は、自分の都合に合わせてより楽しくも心地よいものを当てはめることができるので、どうしたってお気に入りになる。

と思うのであるが、おそらくこれは誰もが理解できないほどの妄想に違いない(笑)。
アイツらなら分かってくれるかもしれないけれど。

サザンを聴くようになったのは中学のはじめ頃だから約20年くらいが経つ計算になる。その間ずっと、サザンの存在は大きく際立つこともなく、またなくなりもせずにただ一緒にいた。だから、思いもよらない思い出がいずれかの曲にもまだくっついていて、それが曲を聴くときのシチュエーションと相まったりなんかして、またいつの日にか思いもよらないタイミングで感じられることだろう。

もしもこのままサザンが活動を再開しなかったとしても今の僕は別に構わない。ただし、10年後の僕はちょっとだけ困ることになる。今から10年間もサザンの新曲が聴けないとなれば、これから歩む中での僕の思い出は誰のどの曲に委ねたらいいのか。

うーん。これは困る。確かに困る。

まあでも、これまでの曲を聴き続けることで、また新たなる思い出が曲に重ね塗りされることになるかもしれないし、あと数年後にさらりと復活するかもしれないわけだから、取り越し苦労をするのはやめておこう。


少なくない寂莫の想いを胸に書いた、一ファンからの戯言でござりました。