平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「北京オリンピック開幕」身体観測第55回目。

 中国が「100年の夢」と位置づける北京オリンピックが開幕した。テレビ画面に映る開会式の様子を眺めながら、「開幕できたんだな」という現実を噛みしめていた。というのは、もしかすると無事に開幕を迎えることができないのではないか、という不安があったからである。大会を前にして、チベットでの暴動や厳戒態勢を敷いての聖火リレー、それに7万人もの死者を出した四川大地震が立て続けに起こった。特に四川大地震に関しては、まるでオリンピックの開幕を阻むかのようなタイミングでの自然災害である。何やら目に見えない力が働いているのではないかというネガティブな憶測が働くのも無理はないだろう。

 そんな思いで開会式を見ていた次の日には、当たり前だが何事もなかったかのように競技が行われていた。大会3連覇中の野村忠宏を差し置いて出場した柔道男子60キロ級の平岡拓晃は2回戦で敗退。そして「ママでも金」を狙った女子48キロ級の谷亮子は残念ながら銅メダルに終わったとの報道を目にして、オリンピックが行われていることの実感が湧いてくるも、前回のアテネ大会のときのようなお祭り気分にはならない。スポーツが好きな私としては、4年に一度のオリンピックは楽しむことのできるコンテンツであるはずなのに不思議である。

 気分が乗ってこないのは、北京を取り巻いている状況があまりに不穏過ぎるというのもある。中国では、政府当局から民間人に対して外国メディアの取材に応じないようにとの通達が出されていると聞く。言論を封殺された中国で抑えられている想念はあまりに強大で、この想念の存在こそがその正体を探るべく私たちにあらぬ想像を抱かせ、こうした無意識的な想像という行為が結果としてオリンピック特有のお祭り気分を損なわせているとも考えられよう。

 オリンピックとはいったい何なのだろうかという問いが頭の中を巡っている。

<08/08/12毎日新聞掲載分>