平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「ボルトの余裕に魅せられ」身体観測第56回目。

  数々のドラマを生んだ北京オリンピックが閉幕した。振り返ってみれば様々なシーンが脳裏に浮かんでくる。2大会連続で2種目制覇を果たした北島康介の強靭な精神力には感服した。他を寄せつけずに8冠を達成したマイケル・フェルプスには、人類が到達し得るパフォーマンスレベルの果てなき高さを思い知らされた。他にもたくさんのアスリートがそれぞれの競技で活躍したのだが、その中から最も印象に残ったアスリートをあえて選ぶとすれば、私は迷わずウサイン・ボルトの名を挙げる。

 100m、200mともに世界新記録を樹立し、カール・ルイス以来24年ぶりの金メダル奪取という快挙には世界中が沸きに沸いた。力を緩めながらゴールした100mには度肝を抜かれ、その圧倒的な速さは200mでも遺憾なく発揮されて、今世紀中には破られないだろうとされたマイケル・ジョンソンの記録をも塗り替えたのである。

 しかし私が北京オリンピックのMVPにボルトを指名するのは記録的な理由からだけではない。まるでふざけているかのように見えるほどリラックスしてレースに向かうあの余裕に、魅せられたからである。大舞台であれほどまでに落ち着いていられるのは一つの能力と考えてよいだろう。科学的な視点では捉えきれないこうした能力に最も長けているのがボルトであった。

 人類が発揮し得る身体的なパフォーマンスは大体このくらいだろうと私たちが高を括っていたレベルを、ボルトは「楽な感じで」越えてみせた。常軌を逸するようなレベルには歯を食いしばって困難を乗り越えてこそ到達できるという物語が席巻しているスポーツ界では誠に異端であるが、しかしこれは紛れもない現実なのである。

 私たちの身体に秘められた力は、まだまだ手つかずのままに開発されるのを待っている。ボルトの走りを見ているとそんな希望が湧いてくる。

<08/08/26毎日新聞掲載分>