平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「個体差と多様性」身体観測第82回目。

 ロンドンで行われた体操・世界選手権で内村航平選手が金メダルに輝いた。しなやかで流れるような動きは、ニュース番組でのわずかな映像からでも伝わってくるほどである。先の世界陸上で驚異的な世界記録を打ち立てたウサイン・ボルト選手のしなやかな走りも記憶に新しい。トップアスリートの、とてもじゃないけれど自分にはできない動きを目の当たりにすれば気分は高ぶる。憧れにも似た、腹の底から頭の先を貫くようなあの感じは、私をふくよかな気持ちにさせてくれる。

 それにしても同じ人間なのにこれほどまで身体能力に差が生まれるのはどうしてだろう。くるくる回りながら一度鉄棒から手を離し、アクロバティックな動きをした後にまた鉄棒を握るなど、想像しただけで冷や汗が出てくる。高所恐怖症の私には逆立ちしてもできないだろう。

 思わず魅了される動きは何もスポーツに限ったことではない。それぞれの指が生きているかのようなピアノ演奏や全身が振動するような歌声は、筆舌に尽くしがたい感動が身体中を駆けめぐる。それこそ身近に見られる携帯メールの早打ちやペン回しにだって感嘆するだろう。そこには、自分にはできないことができるあなたへの敬意がある。

 おそらく人間ほどに身体能力の個体差が際立つ種は存在しない。足が遅くて持久力に劣るがために群れから取り残されるシマウマや、突出した足の速さで狩りを一手に引き受けるライオンがいるとは思えない。自然界で生きる動物が生存を目的として先天的に備わる動きで完結しているのとは対称的に、人間は後天的にさまざまな動きを獲得する。だから個体差は大きくなり、多様性に富む。

 どうやら身体には練れば練るほどに高まる可能性が眠っている。「できない」からこそ「できる」への道が開かれていると知れば、なんだか無性に身体を動かしたくなってくる。

<09/10/20毎日新聞掲載分>