平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

1部昇格は入替戦に持ち越し!

遅ればせながらの報告となってしまったが、親和ラクロスは1部昇格を賭けた2部リーグ1位同士の試合に8-11で敗れた。これで自動昇格はならず。1部に上がるためには今週末に予定されている神戸学院大との入替戦に勝たなければならなくなった。以前にも書いた通り、いくら下位チームであっても1部にいるチームはこちらが想像する以上に強い。しかしながら今の段階で1部昇格という目標を達成するためにはこの試合に勝つ以外に方法がない。負けて元々だと考えて全力でぶつかるしかなく、彼女たちがこれまでの練習や試合で培った力を余すことなく発揮できるように、しっかりとサポートしたいと思う。

勝つ時もあれば負ける時もある。それが勝負である。確かに勝てばうれしいもので、スカッとするのは言わずもがなである。快勝した後のビールはとてつもなくうまいし、酔えば酔うほどに気分はよくなる。開放的になり過ぎて粗相をしでかしたことなんて数え上げたらキリがない。いやあるか。あるということにしておいて欲しい。

とにかく勝つことだけを目指して練習に励んできて、これでもかという時間をつぎ込んできたのだから、目標を達成できたときの喜びはこの上ない。ただ、思い返してみればそれだけなんだよなあ。ビールがおいしかったとか、開放的な気分になったとか、とかく情感的なものが記憶として残っているだけで、あとは特別に何もない。「開放的」という表現を使ったけれど、もっと体感的にいえば「ホッとした」だけというか、そういうものだった。とにかくしばらくはゆっくり過ごせるぞという安堵感にも似た感じだった。

では、試合に負けた後はどうだったかというと、それはそれは鬱陶しい気分が心を埋め尽くしていて、帰路に着くバスの中ではほとんど誰とも口を利くことなくブスっとしたまま居眠りを決め込んだりしていた。あの時こうしてればなあという後悔の念と、せっせと格闘していた。決して気分のよいものではないが、あまりに気分が悪いせいで2度とこんな思いはしたくないという情動がかきたてられる。それが次の試合に向けての意欲につながり、なんだか燃えてくる。

今から思えば負けた後の方がなんというか非常に建設的だと思うのだ。次の試合への、未来に向けての道が開かれるというかなんというか。負ければ悔しいに違いないが、悔しいと感じた分だけ未来に向けて歩み始めるためのエネルギーが供給されるように思う。負けを抱え込んだ時の何とも言えないもやもやした感じは、できることなら味わいたくないとは思うけれど、その反面、あの思いが今の僕を形作っているような気がして、今となってはちょっとだけ愛おしかったりする。勝ったことで何もかもがスッキリして飲むビールと、片付かない気持ちを抱えたまま傾けるジョッキはのど越しが全く違う。勝利の美酒は旨い。でもそれだけなんだよなー。旨い、それだけ。でも負けた後は違う。一杯ごと、一口ごとに味が変わるというか、旨くもなるし、まずくもなる酒というかなんというか。そんなことを思えば、試合の敗因をウダウダと夜通し語り合うあの時間も実のところ楽しんでいたんだよなと思えてくるから不思議である。

ここまで書いて思い出した言葉がある。

勝利とはその瞬間に自己肯定とともに過去に繰り入れられる宿命にあるが、敗北は未来へ向けて自己を見つめ直す契機だからだ。
(いつぞやの『カフェヒラカワ店主軽薄』

平川克美さんのブログを読んでいてメモした言葉である。なるほど、僕が感じていたなんだかもやもやとした実感はまさしくこういうことなのだなあと思う。試合後の談話なんかで「勝って反省できるのはいいことだ」的な言説にお目にかかるけれど、本質的な意味において勝って反省できることは難しいと思う。負けたという現実を受け止めて出発する思考こそが反省だと思うし、「勝って反省」は自己肯定とともに過去に繰り入れられたものをほじくり返すことにしかならないわけで。

勝負は勝つ時もあれば負ける時もある。だからゲームは面白いわけだが、その裏側で蠢く感情や思考があることをスポーツをしている人間は忘れてはいけないと思う。勝敗だけで片付けられるほどにスポーツの面白さは単純ではないのだ。

勝つか負けるかに全身全霊で臨むことは極めてスリリングな営みであって、そのスリリングさは勝敗ごときに左右されはしないのである(きっぱり)。だから負けた後のビールはまた違った意味合いで旨い。たぶん、旨い。今になって改めてそんな風に思う。