平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

入替戦に勝って1部昇格を果たしました!

先ほど家に帰り着いた。入替戦が終わり、その後に行われたシーズンお疲れさん会でほろ酔いになって気分良く帰ってきたのである。

そう、まさに「気分良く」である。

そうなのだ。親和ラクロス神戸学院大学を7−6で下して1部昇格を決めたのである。シーズン当初からの目標であった「全勝優勝で1部昇格」はならなかったにしても、「1部昇格」を達成したのだからこれは喜ばずにはいられない。お気楽コーチだからあくまでも“お気楽に”喜ぶ程度にしようと努めたけれど、からっきし無駄だった。我が事のようにすっかりと喜んでしまったのであった。

試合前の練習は、僕が思っていたよりも緊張することなく落ち着いた感じで淡々とこなしているような印象を受けた。「うん?、ちょっと気持ちの入り具合が足りないかな?」と感じたけれど、パスキャッチもスローもあまり乱れがない。というよりも、スムースにパスがつながっている。そう感じたのであまり余計なことは言わずにおこうと、しばらく練習を眺めることにした。

スクウェア」という練習では、落とさずに何回パスを繋げるかを数えるのがこれまでの慣習となっている。ここんところの練習ではあまり行っていなかった「スクウェア」であったが、なんだかスムースに行えていることに「ほほう」と僕のテンションが高まる。そうこうしているうちに100回を数えるほどにパスが繋がったので、さらに僕のテンションは上がって、「ああ、今日の雰囲気はほどよい落ち着きなんだな、きっと」という確信を得るに至った。そんな僕の内心を尻目に、彼女たちはまだ淡々とウォーミングアップに勤しんでいる。そんな様子がいい。本当にいい。さらにテンションは上がる。

そしてふと相手チームに目をやると、どうにも気合いが入っていないような、集中力が足りないような雰囲気を、僕自身は感じ取った。「あれ?、もしかしてこっちが2部だから油断しているのかな」という印象を受けたが、それはみんなの前では口に出さず、何人かの学生には野村監督ばりにぼやいてみた。「こっちを舐めてるかもしれんぞー、だとしたらなんか悔しいよなあ」みたいな言葉づかいで。

だんだん試合開始の時刻が近づいてくる。それでも彼女たちの様子は変わらない。ふとある学生が「なんか今から試合をする感じがしない」というようなことを口にした。それを耳にして直観的に「あっ、いけるかも」と僕が感じたのは、普段は緊張でがちがちになる学生の口から出た言葉だったからである。その彼女は、試合に集中できていないから何だかフワーッとしているのではなくて、それとは反対にいい具合にリラックスした精神状態なのだろうと思った。あくまでも瞬間的にそう感じた。普段はガチガチになる学生がリラックスできる雰囲気がチーム全体を包んでいるのだとすれば、少なくともこちらが持てる力はかなりのレベルまで発揮することが出来るはずだ。試合に勝てるかどうかは神のみぞ知るわけで選手や監督がコントロールできるはずもないが、とにかく持てる力を発揮できそうだという確信を得られたと、こういうわけである。

ドロー(ラクロスではキックオフのことをドローという)後すぐは、思いのほかこちらのアタックが決まり立て続けに点数が決まる。「おいおい、このままいけるんちゃうかぁ!」という気持ちを精一杯に抑えながら、冷静に戦況を見極めることに努める。前半は6−3。3点差をつけての折り返しは上出来も上出来だが、前半終了間際にこちらのまずい攻めからターンオーバーをくらって失点されたことが妙に気に掛かる。このまますんなり勝たせてはくれまいという想いのままハーフタイムへ突入。

後半開始早々、幾度かのアタックチャンスを得るが得点を決められず。とにもかくにも後半開始直後は大切な時間帯であり、現役時代にもよく言われたが後半初っ端の時間帯に主導権を得ればそう大崩れをすることはない。3点もリードしているわけだから時間との闘いになればリードされている側に焦りが生まれるわけである。勢いに乗って1点を決めてしまえばしばらくはこちらのペースで試合を運ぶことができるし、そうこうしているうちに4点という点差に相手チームは焦り出す。そうなればじっくりと腰を落ち着けて攻めることができるわけで、流れがこちらに傾き勝利が近づいてくる。

が、しかし。

幾度かのチャンスを決めきれなかった。

ここから相手チームに流れが傾いてしまう。

そうなればさすがは1部に所属するチームである。あっという間に1点差になった。すぐさまこちらも意地を見せて、残り10分を切ったあたりで何とか1点を追加して2点差にまで広げるも、すぐにまた返されてしまう。残り5分で1点差。相手の猛攻を食らい続ける。

残り1分を切ったところでこちらの反則でフリーシュートが相手に与えられる。サッカーでいうなればPKといったところである。ただし、シュートする相手に対してサイドからディフェンスに行くことはできるので、サッカーほどに決定的なチャンスではないが、それでも大ピンチには変わりない。祈るような気持ちでベンチにいる控えの学生共々、そのシーンに視線を送った。

「たのむ!」

合図の笛が鳴らされてシュートが放たれる。ゴールネットを揺らしたのが遠くからでもはっきりとわかった。「やられた、これでサドンデスに突入か・・・」と思ったのも束の間、すぐさまレフリーの笛が鳴り、シュート側の反則が認められてゴールが無効となる。残り数十秒。パスを繋いで時間を使って試合終了。何とも劇的な幕切れに、ベンチは喜びの涙でぐちゃぐちゃになった。

勝利の喜びを感じると共にプレッシャーに解放された安堵感から泣き崩れて喜ぶ学生たち。皆が皆、本当にいい顔をしていた。お気楽コーチは、お気楽感をつくるのに必死だったことはおそらく誰にもバレていないだろう。しかしここでこうした書いてしまったので結果的にバレてしまうけれど、この際まあいいか。

これで4回生は引退を迎えることになった。4回生は、最後の試合に勝って学生生活を終えられる喜びを存分に味わっているように見えた。が、中には複雑は心境を抱える学生もいたことと思う。最終学年で試合に出られた学生とは対照的に、ベンチで出番を待ちながら結局は試合に出られなかった学生もいた。そうした学生は、劇的な試合展開のゲームを制し、一部昇格を果たした喜びはもちろん感じているだろうが、その喜びと同じくらい、グラウンドに立てなかった悔しさも感じていることだろうと思う。嬉しいけど悔しい、よかったけれどよくない。相反するふたつの気持ちに引き裂かれた心境に、内心はぐちゃぐちゃだったのだろうと思う。

そんな彼女たちに対して僕は下手な慰めをしようとは思わない。スポーツとはそういうものなのだ。こうした心の葛藤を抱え込むのもまたスポーツの醍醐味であると思うからこそ、下手な慰めはしないでおきたいと思う。彼女たち自身だって頭ではわかっているはずだからだ。勝つためのチーム編成に自分がいないという厳しい現実を、頭では受け入れているはずである。ただ、気持ちが、心が、身体がそれを上手く噛みくだけないでいる。とてもつらく、そう簡単に割り切れないだろうが、こればかりは仕方がない。しゃーない。

ただこれだけは言える。言っておきたい。

今日のような熱い試合ができるいいチームになったのは、試合に出場している選手だけが頑張ったのではなくて、チームのひとりひとりが親和ラクロスというチームの雰囲気を創り上げたのだということを。そうして創り上げた雰囲気の中で皆がそれぞれに成長したのである。これは綺麗事でもなんでもなく、紛れもない現実である。親和ラクロスの誰一人が欠けても今日のような試合はできなかった。僕はそう強く確信している。4回生に限らず、もちろん3回生も、2回生も、1回生も、誰一人欠けても今日の勝利はなかった。

顧問になってお気楽コーチをさせてもらってからというもの、僕は彼女たちから学んでばかりいるような気がしている。記憶の中で忘れかけていたもの、ラグビー選手として打ち込んできた時間の中で知らず知らずのうちに身についていたあれこれが、彼女たちを指導する際に次々と甦ってくるのだ。僕は彼女たちから自信をもらっている。かつてははっきりとした手応えを感じていたはずの自信が、今度はやんわりとした確信を伴ってストンと腑に落ちていくというか何というか、そんな不思議な感覚がある。

とにかく今日はおめでとう。本当によかった。そしてありがとう。4回生はお疲れさんでした。3回生以下のみんなは、しばらくはゆっくりしてまた来年も頑張っていきましょう。