平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

あまりにモンモンすぎて、グチグチ。

ここんところ悶々とした日々を過ごしている。
なんか、こう、すっきりとしない感じが僕の周りを覆っているようで、
なんとも言いようのない気だるさが纏わりついている。
と言ってもたっぷり食欲はあるし、相も変わらず「仁義シリーズ」を見ては広島弁を知らず知らずのうちに反芻してるし、大学同期がお薦めの「フェイク」を見てはジョニー・デップのかっこよさにしびれたりしている上に、SCIXの練習では中高生に負けじと走り回っていたりしてるから、まあそんなに大した落ち込み感ではないのだけれども。

いずれにしても、なんだか「ピリッ」としない感じが続いていて、それがなかなか抜けきらないことに何だか気分がどんよりしていることは間違いない。「なんかあったかなあ」と少しだけ過去を振り返ってみて原因を探ってみても、心あたる出来事がみつからなくてにんともかんともな気持ちになるが、そもそも原因がはっきりしていないから悶々とするのであって、いささか負の連鎖に絡めとられている自分に気がつく。

気づいたところで解決するべくもないのだけれども。

こんな自分を肯定するつもりではないが、それにしても新聞などのメディアから覗き見ることのできる今の日本社会にはげんなりとせざるをえない。

福田首相辞任から始まって自民党総裁選挙に5人が出馬するという茶番的ストーリー展開。麻生氏で決まってるんやったらもうそれでええんやないの?大きな期待もしていないからほどほどにやってくれてたらいいのに、オレも私もと手を挙げるからめんどくさくなるねん。ラグビー一辺倒で政治の動向にはこれまでほとんど興味を注いでこなかった僕だけれど、最近はちょこっとだけ学習もしているからせめてこれくらいは言わせてもーてもいいでしょ。

あくなき利益追求型企業「三笠フーズ」の所業の数々に、持ちつ持たれつの関係を築いていて今も戦々恐々なたくさんの企業と、その実態を肯定も否定もせず黙認していたであろう農水省。あーあ、もうホントに日本はどうなるんだろうかと失意のうちにうずくまってしまう。資本主義経済にあまりにもどっぷりとつかり過ぎたが故の結果だろうなと分析しても、そうやって冷静になろうとしている自分がいやになって、というかもう抑えられなくなって、「ほんまええ加減にして―な」と思う。あのね、おたくらが扱っているのは食べ物なんですよ。しかも有史以来の日本を潤わせてきた「米」ですよ。ベイじゃなくてコメ。毒入りのギョーザの件もあるし、こんなことしてたらやがては商品になった食べ物を口にできなくなる時代が到来するぞ、きっと。もしそうなれば、各地で自給自足の生活を始める人が出てきたりしそうで、そうした人たちが手を組んで新たに「自給自足コミュニティ」ができそうな気もするから、それはそれでオモシロい展開にはなりそうな気がするけれど、でもやっぱりねえ。

相撲協会のゴタゴタも見ていて気分が優れない。大麻を吸ったことで除名処分を受けた二人の力士が土俵に復帰するために協会を訴えた。二人の力士は、一度は認めた大麻吸引もこの期に及んで吸ってないと言い張る始末で、泥沼の訴訟問題へと突入している。弁護士からの忠告に基づき平気で自らの言動を否定するその身振りが、すでに力士にふさわしくないと思われるのだが、本人たちはそのことにおそらく気付いていない。除名処分後すぐには短パン・Tシャツで外出する姿が新聞に掲載されていたにもかかわらず、相撲協会を訴える段になっての記者会見で慌てて着物を着たところでもう遅い気がするぞ、僕は。だからと言って相撲協会に肩入れするわけではないんだけれども。

大きなニュースではこんなところで、細かなニュースを書いていけばおそらく今日中には書き終えられなくなりそうなのでやめておく。しかも、そうして書いている自分のことがどんどん嫌いになって、また落ち込んでいくことになりそうだから、何が何でもやめておくのである。

新聞やネットやテレビからの情報にまみれながら「もっとええニュースはないんかいな…」と、大きくため息をつかされる毎朝の積み重ねが今の僕をつくったとも言えなくもない。日々の積み重ねってとてつもなく大切なことだからね。いいことも悪いことも、とにかく継続することによってそれが血となり骨となるわけだから、この落胆気味の心模様の原因としては当たらずとも遠からずといったところだろう。ただでさえ膨大な情報を受け入れて処理しなければならないのに、その入ってくる情報のほとんどが没人間的な内容となれば落ち込まずにいられようか。

だからここんところは毎日新聞の読者投稿を読んで心を潤している。いかなる専門性に閉じこもることなく生活の中から湧いてくるようにして生まれる知性は、刹那に心をあたためてくれる。その温かさに思わず微笑ましくなって表情が緩むときもあれば、少し辛口な熱き想いには背筋が伸びてピリッと身体が引き締まることもある。生活者としての立場を踏み外していない人の想いはやっぱり清々しい。


ここんところの「悶々」は、昨今の社会における物語の単一化傾向による影響が大きい。だとしたらこの先ずっとこの「悶々」は続くということにもなろう。こうした「悶々」とうまく付き合う方法を探りながら、僕自身が新しく物語を紡いでいくことに今まで以上に尽力していこう。こう考えると、ちょっと元気が出てきたぞ。うん。