平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ベターなノリでいきましょうや。

アオヤマさんのブログを読んですっかり気分は【ドンナロイヤ】なままに書き始めてみた。
ちょうどランチ前という時間帯も【ドンナロイヤ】志向に拍車をかけてくる。
想像しただけでヨダレが溢れてきて、おそらく今日はかなりの確率でラーメンチャーハンか大ざるオニギリの昼飯になりそうなので、ああ無情、な心境である。

未だ知らぬはずの【ドンナロイヤ】の形にお腹がへこんでいる。
そこに無理やり押し込むラーメンチャーハンおよび大ざるオニギリが不憫でならない。
ラーメンチャーハンも大ざるオニギリもおいしいのだよ、普段ならば。それでも今日はいささかのがっかり感をもたらすことは間違いない。
おお、フェットチーネ
「超プロシュート」という響きがこれまたなんとも。

こうして書きながらも思いは募るばかりなので
泣く泣く話題を変えることにする。

さてさて、お知らせを一つ。


幾人かの知人友人に「認証コードが認証されずにコメントできません」という苦情を頂いておりました。どうしたものかとソネットに問い合わせてみたら、ブログのリニューアルに伴う不具合だと考えられますので早急に対処いたします、今しばらくお待ちくださいと言われて、そのままじっと待っていたものの、かなりの時間を経過しても改善されることなくすっかりと放置。それで先日、何気なく認証コードを変更してみたら自宅のパソコンからはコメントすることができた。もしかするとすっかり改善された可能性もあるので、またの機会にチャレンジしてみて下さいませ。

ここんところは少し思うところがあってコメントへの返事を自主規制していたのですが、なんだかいろいろと細かく考えるのが面倒くさくなったので、ぼちぼち再開していくつもりにしています。

こうしたらああなって、ああしたらこうなって、という思考の仕方は生きていく上で欠かせないことは百も承知しているけれども、あまりにそうした思考に囚われてしまうと、得も言われぬ虚脱感が襲う。一つ一つの仕事をじっくりと吟味してから「ベスト」を見つけようとすればするほど、生気が枯れていくような気になってくる。ほとんど誰しもが「そうすべきだ」と息巻く選択肢が存在すると勘違いし、それを導き出そうとあれこれと手を尽くすことにはあんまり意味がないように思う。というか意味はないのだな、間違いなく。

それぞれに立場や思惑があって、所属する組織の利害と個人の利害とがいがみ合う中で、「ベスト」の選択というものは存在しない。あるものは「ベター」だけだ。強いて言うならば瑕疵を指摘できるけど、大方はまあそれでいいんじゃない?という主観を伴う選択が「ベター」である。誰もがちょっとずつ主張を控えめにすることで導き出せる言わば「三方一両損」な、選択や判断。それこそが目指されるべき妥結点であり、それこそが各人の感覚としての「納得感」になる。だから、自分の主張がすべて通ることで導かれる100%の納得感というものは決してあり得ない。

こうして書けばなるほどと納得することはできるし、おそらく仲間や同志と過ごす時間は無意識的にそのような雰囲気が流れているように思う。ハーゲンダッツの前やヒルトンロビーで待ち合わせしていざどこの店に行くかの相談のときに、「中華じゃないと帰る」とか「ぜったいに焼肉や」とか「健康のためにもやっぱり和食」などと、血相を抱えてそれぞれが主張を通そうとはしない(当たり前やけど)。「なんでもええで」というところから始まって「どこにししよか…」とグダグダ言ってるあいだになんとなく店が決まり、いつの間にかみんなでがぁーっと生ビールを飲んでたりする。その店がおいしければまた来るし、お店の人と話が弾めば必ず来るし、何もかもが「もひとつ」やったら二度と暖簾をくぐらない。ただそれだけである。

あの会議とかもこんな感じやったらええんやけどなあと、ほとんど実現不可能な期待を抱きたくもなるのは、こうしたらああなって、ああしたらこうなってと考え過ぎる人たちが幅を利かす空間にほとほと疲れてしまうからである。あー、なんとかならんもんかねー。ってぜったいにならないとは思うけれども。

とまあ何が言いたかったのかというと、こうしたらああなる、ああしたらこうなるという思考もほどほどにしとかないと、心がギスギスしてくるということなんだな、うん。

さて、それではとぼとぼとランチに行くことにします。