平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

一通りの「ガイダンス」を終えて。

秋学期が始まり、受け持つ講義の第一回目が今日で一通り終了。
全15回の講義を通して何を学ぶのかという目的や大まかなスケジュールに評価基準とその配分などを学生にアナウンスする「ガイダンス」が終わったのである。
次回からはその「ガイダンス」にしたがって講義や実技を進めていくことになる。

実技については春学期に行った内容をベースに細かな部分をカスタマイズしていくつもりである。とにかく「楽しむ」を心掛けているので、準備運動なるものをいかにして遊び的な内容にしていくのかに力を注いでいる。
ただ単にボケーッとストレッチするよりもボールを使っての軽い運動をした方が楽しいわけで、おそらくその方がカラダもほぐれるだろう。
無理矢理にとまで言わなくても半ば強引に筋肉を伸ばしたところで、伸び伸びと動くための準備が為されるとは到底思えない。
これは、長年の選手生活でストレッチをしてきた経験からもそう感じる。

それよりもまずは肩関節と股関節をじっくりと時間を掛けながらゆっくりと動かす方がいいだろうと思う。そうすることで、両関節周りの筋肉が「結果的に」解れてきて、「何だか動けそうだ」という感覚になる。僕はそう考えている。

しかしながら実際のところはというと、簡単なゲームをしながらにそれが結果的にストレッチ効果をもたらすという方が好ましい。
たとえば、2人組がお互いに背中をくっつけ合って座り、両腕を組んだ状態から一緒に立ち上がるというもの。これが意外にもできない人はできない。
できる人は3人でも4人でもできるし、今日の「基礎体育学」では最高6人で行えたグループもあったが、できない人は最後までできなかった。
コツは、とにかく2人の息を合わせながら「相手に寄りかかるようにして」立ち上がること。自分1人の力だけで立とうとすればするほど立てない。お互いの背中にカラダを預け合わなければ立つことは難しい。

こうした運動を通じる方が、ただ押し黙りながら行うストレッチよりもおそらくはカラダがほぐれるだろうと思う。ただ、1人で行うとなればやはりそれはストレッチが最適であることに違いはなく、まあ絶対にやるべきとまでは敢えて言わないにしても、運動から遠ざかる生活をしている人は就寝前に少しだけでも行う方が望ましいだろう。それほどカラダを使わなくてもいい生活を過ごしていると、確実に身体はカチンコチンに凝り固まっていくのだろうと思う。というのは、現役生活を退いてからというもの、ちょっと油断するとこうした凝り固まりに見舞われることも多くて、その度に走ったり伸ばしたり風呂に浸かったりしていることからも主観的に、体感的にそう感じるのである。

こうした遊びの要素を取り入れたメニューは、甲野善紀先生自身が出されたものはもちろん、プロデュースされたものや共著本などを参考にさせてもらっている。
これはオモシロそうだし、楽しそうだと思われるメニューを、研究室の中で1人カラダを動かしながら「うん、うん」と確認して実技に応用しているのである。
今のところ学生たちのウケは概ねよい。
ただ、思ったよりもウケがよくないものもあって、それはいかがなものかと分析してみたところ、原因はおそらく僕の講義の進め方すなわちしゃべりが下手くそだからではないかと思っている。
「感覚を誘発するようなことば」が乏しいのだ。たぶん。

これは改めての勉強が必要だなと思う。
ことばを辿ることで得られる「納得」と、実際に身体を動かしてみることでしか掴めない「体感」との、両面からの勉強が必要だ、うん。

さて、明日は「健康行動学」。
仕込みは既に終わっているので、念のためにもう一度だけ話す流れを整理してから寝ることにする。人に伝わるように抑揚をつけながら話すことは難しいけれども、それでもやっぱり楽しく感じるのは根っからの「しゃべり」だからやろなー。
ああでもない、こうでもない、もっとこうしよう、もっとああしようと考えながら講義のことを考えるのは、まるでラグビーをしているときのようにオモシロい。
というより僕は「ラグビーをするときの仕方」であらゆることをしようとしているのだな、たぶん。その仕方が、人生における時の流れと比して幾分か余計に瞬発的になる。無意識のうちに。もっと射程を広げれば楽になるところを一発勝負的発想で判断を下すからしんどくなるのだ、これまたたぶん。

まあ長年どっぷりとラグビーに浸かってきたんだからそうなるのは仕方がないし必然だし、それが僕だということなのだろうな。

と、自分で自分をなだめすかしたところでベッドに入ろう。
それにしても肌寒い夜である。