平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「鈍感な善意」や「ゆとりを欠いた一途さ」

昨日のSCIX練習ではしゃぎ過ぎたせいかカラダが少し重い。
筋肉痛とまではいかないにしても、と言いつつこれから遅れて感じることになるかもしれないが、筋肉に若干の張りがある。
学校で試験期間中ということもあって練習参加人数が少なく、いつもよりスペースがある中でのタッチフットになったので、右に左に前に後ろに走り回ったことが影響しているのかもしれない。

さらに昨日のタッチフットが質の高い内容だったことも影響しているだろう。お互いを気遣い合っているがゆえにパスの数が増えてしかもスムースに繋がる。味方の存在を「目で見て」確認した後ではなく、咄嗟に聴こえた声を頼りに放ったパスや、場合によっては声を聴かずとも背中越しに感じる気配を察知してのパスが繋がると、とても気持ちがよい。そんなときは思わず「ナイスパス!」と叫んでしまうのだが、昨日はそうしたシーンがたくさんあった。

そうしたパスが繋がったときには何とも言えず心地良い感覚が身体に芽生える。身体の同調を感じた時は気持ちがいいのだ。そんな気持ちよさを感じるチャンスがたくさんあったものだから一緒になってプレーしている僕のテンションが上がらないわけがなく、ついつい夢中になって走り過ぎたというのもカラダが重く感じる一つの原因だろう。

しかしながら重いからといって「しんどい」わけではなく、どちらかと言えば身体の存在を感じられるという意味で心地良い。現役の頃が思い出される、というのは少し大げさなもの言いだが、決して遠からずな感覚でもあり、やはり身体は使わないといけないなと切に思う。

さてさて、がらりと話を変える。

ついさっき、いつもランチをとる喫茶店【サンフラワー】で日替わり定食を平らげて、アイスコーヒーを啜りながらメモ帳を見ていた。ふとした思い付きをことばにして残しておくために僕はメモ帳を持っていて、ボーっとできる時間などには自分がメモった内容を読み返したりする。相も変わらず汚い字で殴り書きされたものを遡って見ていくと、ある一文が目に留まった。

「鈍感な善意やゆとりを欠いた一途さ」…気をつける

これは『「待つ」ということ 』(鷲田清一角川選書)を読んでいる時に心に残ったことばだった、と記憶している。ちょうどメモった当時に感じたものがある程度の時間を経てまた新たに心にちくりと突き刺さったのであった。

良かれと思って目の前の相手にこーしなさい、あーしなさいとアドバイスをする。こうしたときに、つい調子に乗って言い過ぎてしまうことが多い僕にとって、このことばがとても身に沁みたのである。だいたいがアドバイスなどというものは軽々しくできるはずもないのに、何か有用なことば掛けができると高を括り、もっともらしい話を聞かせようとするのは、自分自身にゆとりがないからだ。「誰かの役に立っている」ことの具体的な実感が欲しいという、言わば自分自身の存在を際立たせるための裏返しと言えなくもないその態度からは、余計なことしか生まれないのだな、うん。

自分の存在を確認したいがための人助け。自分を必要としてくれる人とのつながりを明確に意識したいという欲求は、まぎれもなく今の自分に不安を感じていることの表象だ。不安だからこそ誰かを求めるというのは人として自然な行為だとは思うが、それがアドバイスという形をとることには十分な注意が必要である。とくに「先生」という立場に立つ僕にはものごっつ大切なことだと思うのである。だからこそ、こうしてことばにしておかないと、ついつい余計なことを口走ってしまいそうだなという切迫感が僕にはある。たぶん、このことばをメモったのはこうした心境からではなかったかと思われる。

「ゆとりを失った一途さ」には、ユーモアの欠如すなわち深刻に過ぎることへの自戒が込められている。焦燥感に包まれながらではどうしても物事を深刻に考えてしまう。その状態のままあれこれ考えているとどんどん煮詰まってきて、その果てに行き着くのは白か黒かを決する極論になる。そうした場面をザーっと想像しただけでも「ああ、こわ」である。

「あれこれ考える前にまあお茶でも飲みながら甘いもんでも食べましょーや」という余裕くらいは、いかなるときにも欲しいものである。たぶんこんなことは誰もが考えていることだとは思うが、いざ切羽詰まった問題と向き合わざるを得ない状況で実行することはなかなかに難しい。教育界においても「ゆとり教育」からの脱却が言われているし、「余裕」とか「ゆとり」といったものが社会の中で棲息できなくなってきているのだな、たぶん。

つまりは、とにもかくにもぼちぼちいこか、ということなのである。今の僕の立場的に、そんなにのんびりしとったらアカンぞ、という叱咤が聞こえてきそうなもんだけれど、せめて心はぼちぼちにしとかんと学生に面と向かってきちんと話ができそうにない。然るに、周りに何を言われようともやっぱり「ぼちぼち」を心がけようと決意を新たにするのであった。