平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「適度な緊張感とは」身体観測第61回目。

「口から心臓が飛び出そうです」と試合前に話すラクロス部員。これから始まる試合のことを考えて緊張している様子が手に取るようにわかる。こんなときにコーチならば気の利いた言葉をかける必要があるのだろうと、自らの経験を掘り起こして何とか落ち着くような話をするも彼女にはあまり届かない。どこか上の空な仕草を繰り返し、表情には引きつるような強張りが見られる。明らかに過度な緊張状態にいる彼女を見て、不意に懐かしさが込み上げてきた。

 いつの時も試合前は緊張したものである。ラグビー人生初めての試合も、テレビ放送される試合に出る時も、もちろん現役晩年になってからも、緊張した状態のままグラウンドに駆け上がっていた。たとえ練習試合や定期戦であっても、優勝を決める試合であってもそれは変わらない。どの試合を前にしてもそれなりに緊張感が漲ったのは、身体接触を伴うラグビーというスポーツの特質だろう。痛みを伴う激しいぶつかり合いに身を投じるための心構えをつくらなければラグビーはできない。過去には、ロッカーに自らの頭を何度もぶつけて気合を入れた後、血を流しながら試合に出たという選手もいたほど、痛みを克服するためには自らを高ぶらせることが求められる。

しかしながら、緊張度を高め過ぎても具合が悪い。頭に血が昇れば感情的になり、ラフプレーにもつながる上、チームの統制も取れなくなる。こうなれば試合に勝てるはずもない。激しく高ぶる感情をいかにして制御しながら冷静でいられるかが、ラグビー選手が目指すべき心構えなのである。

高ぶりながらも冷静という心構えは何もラグビーだけに求められるものではなく、他のスポーツにも求められるだろうと思う。激昂と冷静、緊張と緩和、相反する感情と身体の状態を抱え込みながら営むのがスポーツであり、それがスポーツの面白さの一つでもある。

<08/11/18毎日新聞掲載分>