『看過できぬ体罰』身体観測第62回目。
「殴られて両方の鼻の穴から血が出ました」。「髪の毛を引っ張られて投げられたこともあります」。授業が終わった後に学生たちと談笑する中で耳にした話である。男子であっても驚く内容なのにましてや女子である。目が点になったのは言うまでもない。あくまでもあっけらかんと話す彼女たちの様子を複雑な気持ちで見つめざるを得なかった。
おそらく当時は、こうした体罰をそれなりの悩みとして受け止めていただろう。練習に向かう足取りはとてつもなく重く感じられ、閉塞感に包まれる日々を過ごしていたに違いない。それでもこれまで部活を辞めることなく続けてこられたのはどうしてなのだろう。ラグビーを始めてからというもの体罰を受けたことがほとんどない私としては、それが不思議でならない。
「たまに褒められるとうれしかった」。いつ殴られるか、いつしごかれるかという緊張状態に差し込む一筋の光として「褒める」があった。アメとムチである。アメの甘さを際立たせるためだけのムチとして体罰は機能していたということだろう。
「辞められるような雰囲気ではなかった」。どうしても足が向かなくて練習を休むと、仲間が連れ立って家まで迎えに来た。たとえそれが顧問の先生の差し金であるとわかっていたとしても仲間と顔を合わせば断り切れず、それを機に部活に戻ったのだという。仲間との絆が体罰の辛さをかろうじて凌駕したといったところだろう。
それでも彼女たちは「やっぱりスポーツは楽しいから好き」と口を揃える。あまりの健気さに胸が締め付けられる思いだが、やはりこうした体罰は看過できない。もし彼女たちが体罰による心の傷を覆い隠すような仕方で自らのスポーツ経験を肯定しているのだとしたら、抑圧された想いの行く末が気にかかる。スポーツは、私たちにいいことばかりをもたらしているわけではないことを肝に銘じたい。
<08/12/02毎日新聞掲載分>