平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

あーしんどかった、というのが本音かも。

いつの間にやら大晦日。ということで今日は朝から大掃除。

風呂場の湯垢をゴシゴシこすり、窓ガラスを乾拭きまでしてピカピカに。

透明感の増したガラス越しに差し込んでくる陽の光が、なんだか身体に気持ちよくとても爽快な気分である。遅まきながら年賀状も投函したし、買い出しも済ませたので、これで心おきなく2009年を迎えることができそうである。

さてと。

「今年は僕にとってどんな年だったのだろう」と振り返ってみるまでもないほど、2008年のあれやこれやがすでに頭の中を走馬燈のように駆け巡っている。

その「あれやこれや」のほとんどは、大学教員として新たなスタートを切ったことに由来していて、職場環境での仕来りや慣習に加えて大学教員としての仕来りや慣習に、戸惑いながらも取り組む中で感じた諸々である。時に落胆し、疲弊しつつも希望には胸が躍るという感じだろうか。こうしたいささか難解な表現を回避するならば、「新しい環境への対応に負われてヒイヒイ言いながらも、まあ総じてオモロかったんかなあ」というところである。

職場などの生活環境が変われば人はそれなりに神経をすり減らすもので、だから「五月病」なる病があるのだろうと思う。置かれた環境を見極め、その中で丁寧に信頼関係を築き上げることで人は安心を得る。そうした安心は、決して一筋縄で得られるものではなく、時間をかけてじっくりと環境に馴染むことを必要とする。たぶん人はこのとき、意識や無意識を問わず身体に備わった力を存分に発揮しようと努めるのだろう。まるで生後間もない赤ちゃんが寝ているときも周りから聞こえることばに耳を傾けているように、知らず知らずのうちに身体感受性を上げて自分ならざる者に接しているのである。だから、これまでの経験があまり通用しないほどに新しいもの尽くしな環境に身を置くと、思いのほか疲弊する。

いつかのブログにも書いたけれど、僕は今年、職業的な意味においてラグビー選手から大学教員へと転身を図った。肩書きが「ラグビー選手」から「大学教員」に変わったというわけである。でも僕自身はこの1年で見違えるほどに大きく変化したということはなく、例年通りにひとつ齢を重ねたに過ぎない。考え方はゆっくりじっくり醸成されて変化しつつあることは認めても、性格はまったくほとんど変わっていないわけで、そこらあたりを僕自身がかなり混同してしまっていたのがおそらく2008年である。「元ラガーマンな大学教員」ではなく「大学教員をしている元ラガーマン」である、という自己解釈に託した想いはここにある。

結論から言うと、「大学教員らしく」振る舞おうとし過ぎてすべてを根幹から変える必要があるのだと強く思い込んでしまったのだ。そう思い込んでしまったのは、これからの人生に対する気負いと焦りもあるし、第二の人生が始まることへの過剰な意気込みもあっただろうと思う。

講義終了後は得も言われぬ徒労感に襲われて研究室でしばらくボーッとすることしきりであった。先週はあれだけ目を輝かせて聴いていたのに今日は寝ている人が多かったな、話すテンポが悪かったかそれとも内容が少々難しすぎたか、それとも…、とブツブツ考えながら茫然とする。それが講義終了後の日課であった。おそらくこうした「ブツブツ考えること」は今の僕には避けては通れないことで、人前で話すことを生業とする上では決して避けて通ってはいけないことだと思うから、とことんまで考えることに吝かではなかった。ただ、それ以外にも様々な仕事が発生するわけであり、重しのようにのし掛かってくるあれもこれもそれもどれもを上手く裁くことができずに右往左往していた。

どうにもモヤモヤして整理がつかない現在の自らの心を総括すればこういうことになる。要するに半年以上も「五月病」が続いていたと、まあこういうことだな、うん。2009年はこのあたりを一網打尽に吹っ切ってやっていこうと思っている。

馴染むのはほどほどにして、自らの経験と結びつけて研究している身体論を更に深めつつ、昨年よりも積極的に発言していきたいと考えている。

中央公論』07年7月号の中で、「“逝きし世”にみる現代日本の失いしもの」というテーマで甲野善紀先生と渡辺京二氏の往復書簡が掲載されている。大掃除中、本棚を整理する際に思わず立ち止まって読み耽ってしまったのだが、そこでの渡辺京二氏のことばを引用し、来る2009年に想いを馳せながら2008年を締め括っておきたいと思う。

__

自由とはこのように人間が自分の欲求と行動の主人公である状態を意味するものだったのではないでしょうか。人は自分を医者と思えば自由に開業することができましたし、寺子屋の師匠に認可は要らなかったのです。礼節も思いやりも、そういう自由のもとで花開いたのです。自分をどぎつく売り出さなくても、自分が自分らしくあることが自然にできていたのでした。(『中央公論 07’7』103頁)

__

極々私的な2008年の総括並びに決意表明を最後まで読んでいただいてありがとうございました。また2009年も、時にクヨクヨと頭をもたげながらもあーだこーだとウダウダ考えつつ、ここに書き連ねていきたいと考えています。

それでは皆様、どうぞよいお年をお迎え下さい。