平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

仕事初めに「神社のお話」。

今年初めての研究室にて書き始めている。
すなわち今日が僕の仕事初めである。

年初から今はもうない
TODO O MUNDO(「アンチスペシャリスト宣言」より)にて悪友タケローと飲んだ。その連れの脚本家デビューを果たしたニシカワも一緒になって、2009年早々ご機嫌な夜を過ごした。なんせお店に到着後まもなくマルタニさんが来られたものだから、熱い夜にならないわけがなく、東京砂漠で乾きっぱなしのタケローが潤うのに十分であったろうと思われる。

毎度のことながら話は転々。何をどこまで話したのかなんて体系的に書けやしないのだけれども、ドカーンと印象に残っているのは日本創世にまつわる物語。たとえば神社について。神社は、「科学的なるもの」が大手を振ってまかり通り、どの分野でもそれを根拠にして次々と薄っぺらい「モノ」が量産されつつある昨今の社会でも、根絶やしになることなく現存している。日本中、どこを歩いても寺社仏閣にお目にかかることができる。それを僕は物心ついた時から「なぜなんだろう」と思い続けてきたし、たぶん今もいついかなるときにおいても心の奥でずっと思っている。

そもそも神社はどういう経緯で建てられたのか。過去に生きた人の怒りや恨みや無念を鎮めるために建てられたのである。市場原理に乗っ取って合理的に街をデザインするにあたっては、寺社仏閣ほど非合理性を持つ建物はないけれど、それでもなお現存しているのはそういうことだ。それは、人間が生み出す「念」がどれだけ現実社会に影響を与え、今もなお与え続けていることの証左でもある。長岡京からたった10年で平安京に遷都した理由は早良親王の祟りを考慮してのことであるし、菅原道真を祭る天満宮が各地に散らばっているのも彼の祟りを恐れてであることから、歴史もそのように語っている。

「神社は怨念を鎮めるために作られた」ということは、何かの本で読んだりして薄々は感じていたことでもあるのだけれども、やはり紙の上に並べられたことばよりも声になったことばの方が胸に響いていくる。「やっぱりねー」と頭での理解が身体に降りてきたのであった。

とまあその2日後に、また違うある方と話をしているときに神社の話になった。シンクロニシティも甚だしいと思うのだけど、こうした奇妙な一致を目の当たりにすると不思議な感じが湧き起こるのを抑えることができずに「たぶん僕はこのことを知っておかねばならないのだな、うん」と強く確信してしまう。その方はもう一段話を進ませて、というか過去に遡って、死者の祀り方に大陸(要するに朝鮮半島)と島国日本のあいだに違いがあり、それに由来しているのだと話してくれた。このあたりはまだうまくことばにすることは難しいのだけれど、僕が理解している範囲で書くとすれば、日本では実際に住んでいる土地に神が宿るとして氏神神社に足を運ぶが、大陸はそうではなく生まれた素性すなわち家系に帰属する。神話で語られる頃の日本では大陸から頻繁に人が入り、また出て行ったりしていたので、双方の文化が混在して今のように複雑でわかりにくい形態になっている。

氏神神社はひっそりと佇むようにして各地域ごとに存在し、その土地を守っている。それとは違い、わりと派手で艶やかな神社はある特定の人物を祀り上げ、呪鎮のために存在している。たぶんこういうことではないかと思う。

まあ、あまりここら辺りを詳しく書くことは、今の僕の知識を持ってしては難しく、というか書けないと思うので早々に切り上げたいと思うが、ただ一つだけ強く思いこんでいるのは、こうやって日本史を紐解いていくとたぶんいろいろなものが見えてくるだろうということである。ま、頭の片隅に、というかど真ん中にこのあたりの問題を置きつつ、2009年は研究業務に携わることにするのである。日本にいるのだからやはりある程度のことは知っておかねば、ね。


さてさて、前回のブログで書いていたサントリーvs神戸製鋼の試合、しかと見させてもらいました。何をどのように書けばいいのかに戸惑うような内容にいささか困惑しているので、一言だけ言わせてもらうと、僕が現役時代に先輩方から口酸っぱく言われていたのは、「試合終盤に気持ちを切らせてしまうのは二流チームのすること。たとえ試合が決まっても絶対に最後までトライをとることを諦めたらアカン!」ということ。ものすごく寂しい気持ちになりました。

もう花園決勝は結果が出てますよね。ネットで結果を知ってしまわないように注意しながらもうちょっとだけあれこれして、帰宅してから録画した試合を観たいと思います。持てる力のすべてをぶつけようと必死にプレーする高校ラグビーが、やっぱり一番オモシロい!ということを特に今年は痛感しているのであります。