平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

キカイニナル?ドーユーコト?

明日明後日に行われる大学入試センター試験の監督者に当たっている。周りの先生方が口々に「しんどいよー」とアドバイスを下さるものだから、センター試験監督者初体験の僕としてはいささか身構えている。なので今日も昼から監督者要項を開いて、堅苦しい文言で綴られた文章をしかめっ面で読んでいた。「こんなケースはどう対処すればよいのか」というマニュアルがまさに微に入り細を穿つように書かれており、もし丸暗記すれば誰もが監督者になれることだろう。日本全国どこで受験しようとも判で押したように同じ条件のもとで受験生が鉛筆を握れるようにとマニュアルは作られており、そのマニュアルが監督者に突きつけるのはようするに「機械になれ」ということである。

「機械になれ」、か。

この意味とは少し違った意味で「機械になれたらええなあ」と感じたことがある。ということを今ふと思い出した。

そう、あれは確か僕が神戸製鋼に入って2年目の年だ。

2003年にトップリーグが開幕するまで行われていた、社会人日本一を決める全国社会人大会はトーナメント戦だった。負ければそこで優勝の芽がなくなる。一つも負けられないとなれば当然のようにチーム内の緊張感は高まり、わずかなミスが命取りになるぞという無言の危機感を抱えながらのプレーが選手に強いられる。だから、わずかなミスでさえも時と場合によっては先輩方から罵倒の嵐を受けた。つい弱気になってしまいそうなほどに怒られるのはなかなかツラいのだが、だからと言ってミスを恐がり消極的なプレーをすればレギュラーになれるわけもなく、張りつめた緊張感の中でなんとか自らを鼓舞してプレーしていた。

思い返せば当時の先輩方は僕たち若手を見る目に長けていたなあと感じる。そう感じるのは、その消極的なプレーすらも厳しく指摘してくれたからである。単純なミスを怖がって消極的なプレーが続くと、その消極さもミスの一つだぞと教えてくれた。ミスを怖がるのも一つのミスである。24,5歳の僕にとっては難しい命題でもあったが、本気で勝負に勝ちにいくことにはどれほどの厳しさが伴うのかについて学べたという意味で、そうした葛藤を突きつけてくれた先輩方には今ではとても感謝している。

なんて今では呑気に言っているものの、当時はとにかく必死のパッチなのであった。

僕が神戸製鋼に入部した1年目は、SOミラー率いるフラットラインを導入した最初の年で、ぶっちぎりで日本一になった。移籍規定により1年目は試合に出場する権利がなかった僕は、思わず見とれてしまうほどの卓越したパフォーマンスに観客席から酔いしれていた。と同時に、来年から僕はあのメンバーに食い込めるのだろうかという不安と、いっちょやったるかーという期待が混ぜこぜになっていたのがとても懐かしい。そんな気持ちを抱いて突入した入部2年目のシーズンは、昨年度にあれほどの優勝を成し遂げたものだから当然のごとく他チームからびっしりマークされているわけで、その厳しいマークを振りほどこうとチームはフラットラインの完成度を高めるために躍起になっていたのである。そうした過程で1年目の時とは少しメンバーを入れ替えようということになり、エース大畑大介をCTBに配し、ボールを持つ機会を彼により多く与えようということになった。それで僕はWTBで出場できることになる。必死のパッチにならないわけがないってもんだろう。

「2年目の新人」である僕がどれだけチームに馴染めるのかがチームの気がかりになったのは言うまでもなく、チームはどうしても「平尾は大丈夫か?!」という目で見てくる。そりゃそうだ、神戸製鋼に入ってまだ間なしで、しかも昨年には他チームを寄せつけることのなかったあのフラットラインを担うメンバーとして今年新たに名を連ねているのだから。チームメイトはあまり口には出さないにしても、こちらとしてはそういった雰囲気がバンバン伝わってくるわけで、もう練習の時からピリピリとした緊張感を感じていたのが常だった。そうした緊張感を僕自身が感じているという気配をチームに悟られるとそれは逆効果になるから、「いやいや余裕でっせ」的態度を醸し出すのに必死だったりもした。

そうやって、平常心でプレーしよう、平常心でプレーしようとと心がけていたときにふと思ったのが、「機械になれたらええよなあ」ってことだった。ミスをしてはいけない、積極性を失ってはいけない、フラットラインの一員としてのパフォーマンレベルを保たなくてはいけないなどなど、数々のプレッシャーを受けると当然のことのようにパフォーマンスは低下してしまう。身体が硬直し、こちらの思惑とは裏腹なプレーが続出する。「こんなことしたいんちゃうねん!」という自らのへの憤りが、ふとそんなことを思わせたのだろうと思う。感情もプレッシャーも感じることなくただ求められるプレーを淡々とこなしていくような機械になれたらどれだけ楽やろなあと。

まあでも、このときに頭に描いた『機械』は、明日明後日のセンター試験の監督者たるものとしての「機械」とは根本的にまったく違う。意識主体をより機械に近づけることによって臨機応変的な柔軟性の極みを求めたあの時とは違って、明日明後日はまったく持って本物の「機械」にならざるを得ないからである。すべてのプレーを身体化させるべく意識することで立ち上がる『機械』と、すべての注意事項を同一の行動規範に則って処理すべく意識することで立ち上がる「機械」とでは、水と油ぐらいに反発するものなのである。

あのときふと思った『機械』は、プレッシャーに振り回されることなくどれだけ自然体でどれだけ今という時間に浸りきれるかという、まさにその切実たる願望のもとに思い描いた『機械』なのであって、字面からは「自然」ということばの方がしっくりとくるかもしれない。

どれだけ「自然」を保つことができるか。それにしても難しいものだ。

てなことをくどくどと書いたところでどうなるってわけでもなく、まあそのあたりを十分に覚悟しておいて、明日明後日の試験に臨もう。