平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

講演会のご報告。

「出前講義」が終わって先ほど研究室に帰りつき、湯たんぽに足を乗せてほっこりとしていたら、ブログでも書くかという気になってこうしてカタカタとキーボードを叩いている。「出前講義」とは大学の先生が高校に出向いて講義をするというもの。これからの進路について具体的なイメージを生徒が描けるように実施しているイベントであると、進路指導の先生から説明された。ふーん、そういうものなんだ。と、初めて講義の出前をした僕はその趣旨を改めて理解して担当教室に移動し、「怪我との付き合い方」というテーマで50分しゃべった。オレってオモシロいことしゃべってるよなあと、自分の口から放たれたことばをまるで赤の他人が発してるかのように聴きながら、50分×2をしゃべり切ってなんとか乗り切る。ふう、それにしても人前に出て話すってのは誠にエネルギーが必要な作業である。なので今は軽い抜け殻状態である。

積もり積もったレポートを読んで成績をつけないとアカンし、ラグビー学会で発表する内容の抄録を書く必要もあり、それ以外にもなんやらかんやらやるべきことがあるのだけれど、今日の脱力感の中では何一つできそうにない。だからこそ自分にカツを入れる意味でもこうして無心にキーボードをたたくという選択をしたのであるが、これを書き終えた後になってはたして仕事が手につくかどうか、こうして書きながらも甚だ疑問を感じざるを得ない。というほどの脱力感に身体ががんじがらめである。

前のブログでも告知していたように、昨日は龍谷大学で講演をさせていただいた。テーマは「スポーツがもたらすもの~トレーニングと身体運用の可能性」。これまで僕がどのようなラグビー人生を歩んできたのか、といういささか照れ臭い話から始めて、脳震盪の後遺症を患ったことを契機に深く掘り下げて考え始めた「身体」について、今の僕が感じている「こんなところがオモシロいで」といういくつかを話した。

選手時代も晩年になって、後に脳震盪の後遺症だろうと診断されることになる「視界のズレ」が出始める数ヶ月前に、僕は内田先生の著書を開くことになる。そのきっかけを作ってくれたのは『ためらいの倫理学―戦争・性・物語  』 を貸してくれた青山ゆみこさんで、ちょいと見渡してみれば、内田先生だけではなく今僕が心底からお付き合いさせてもらっている人の多くは青山さんを通じている。本当に本当に感謝である。内田先生の本を読ませてもらって、当時はラグビーに没頭しまくりだった僕には特に『私の身体は頭がいい―非中枢的身体論 』がツボにはまって、「動きってことばになるんだ」ということに大きく感動したのを覚えている。

そこから内田先生の本を一冊一冊読んでいく日々が続く。読み進める中で頻りに登場する「甲野善紀」という人物が気になり始めて、そこから甲野先生が桑田投手を再生させた方だということを知って、これまた僕のアンテナがビビッときて、甲野先生の本を開くことになる。これまたオモシロい。オモシロくてオモシロくて仕方がない。という反面、自らの動きを説明されている文章をいささか懐疑的に感じていたのも事実である。Jリーグの選手をフェイントで交わしたり、レスリング選手のタックルをつぶしたりって、ほんまにそんなことできるんかいなと、洟垂れラグビー選手は少し斜めからみていたのであった。

その疑問を拭い去るためにはやはり実際に稽古会に行くしかない。ってことで、ホームページで調べて大阪で開催された稽古会に後輩を連れて参加したのである。まさしくこの体験こそ、運動生理学を真に受け、西洋医学に頼りきっていた頃のケツの青いラグビー選手が、やがて自らの頭で考えて感性を頼りに身体を磨こうと努力していくことになる、まさにターニングポイントとなった。
 甲野善紀先生の講習会に行き、その場で感じた、これまでの競技生活で培ってきたもの、また、培おうとしていたあらゆる動きとは全く異質の身体の使い方。それを目の当たりにしたとき素直に感じた「感動」と、その「感動」にまとわりつくなんとも言いようのない「不安」とを同時に抱え込むことによって、身体のことを知ろうと流離う僕の旅路は始まったのである。

という「身体」の探求に至るまでに僕が通った道に沿いながら話をした(つもりである。というのは上手く話せたかどうかは聴き手のみぞ知るからである)。

昨日話した内容をいくつか書いておくことにしよう。一つは「足裏の垂直離陸」について。端的に説明すると「踏ん張らないための足の動きについて」である。現実的に考えると踏ん張らずに走ることは不可能だけれど、あくまでも感覚的な意味において踏ん張らないように走ることはできるし、そうした身体運用には予備動作が生じないので相手を交わすというときに大きな威力を発揮する。なんてことを実際に教壇の上で足を踏み鳴らしながら話した。

次は「身体能力って何?」って話。身体能力ということばは今の社会ではフィジカル的な意味に限定されているが、そうではなくもっと広範囲で捉えるべき概念である。現在のスポーツ界(社会全体がそういう風潮だけれど)は数値化できる能力だけが注目されがちだけれど、現実問題としては数値化できない能力というのも確かに存在するわけであり、実のところこっちの方が人間的資質を考える上でとても大切である。「集団のパフォーマンスを上げる」「初対面の人とすぐに仲良くなれる」「どこでも眠れる」などは、スポーツだけにとどまることなく人間としての強さを表している。日本代表チームというのはつまりのところ混成チームである。なので、代表選手を選考するには、細かな形式はさておき原理的には全国各地から集まってきたほとんど初対面の選手をいくつかのチームに分けてセレクションマッチをすることになる。同じチームになればほとんど見ず知らずの人間とコミュニケーションをとる必要が出てくるわけで、そこで人見知りをしてあまりコミュニケーションがとれなければいいプレーなどできるはずもなく、率先して自己紹介し、自分はどんなプレーが得意なのかを告げ、また自分以外の選手がどのようなプレーが得意なのかを把握して、それを踏まえて簡単なサインプレーを作る。さらに、皆が気持ちよく試合に臨めるような配慮ができたりなんかする選手は、かなりの確率で試合でも好パフォーマンスを発揮して結果的に代表に選ばれることになる。一体感のあるチームで行う試合は、高度な個人技を駆使する機会にも恵まれるわけで、個人の能力が生かされるためにはまずチームに対して積極的にコミットする必要があるのである。確かにベンチプレスの重量や3000mの走破タイムも一つの能力ではある。それと同様に、というよりもはるかに重要なものとして「初対面の人とすぐに仲良くなれる」能力はある。さらに「集団のパフォーマンスを上げる」なんて能力は破格的に重要であるのは言わずもがなであり、競争過多で勝利至上な現在のスポーツ界においてこの能力を涵養するノウハウはどんどんやせ細っているのではないかと思う。

てなような話を、もっともっとしどろもどろにどかどか脱線しながら話したのであった。「話す」というのは、もしかするとラグビーをするのと同様にどんどんと練磨されるものなんじゃないだろうかと、なんだか今回はそのことを強く感じることになった。人前で話すことに慣れつつあり、そしてその楽しさに魅了されている僕としては、「話す」ことから得られる楽しみが、これまでラグビーから得てきた楽しみとどこか似通っているような気がしてならないのである。

というようなことを考えてたら、そういえば龍谷大学に向かう電車の中で、講演で話す内容を書きなぐったメモのようなものを読んでいるときに、何気なく
現役のときに試合のために花園ラグビー場に向かうバスの中でサインプレーが書かれたレジュメを読んでいる自らの記憶がふと甦ってきた。ことをふと思い出した。地下鉄「くいな橋」から龍谷大学に向かってぶらりと歩きながら「今のオレはなんだか試合に向かうような心境にいるよなあ」なんて。そのときになるほどそうか、と自分の中で納得したのは、講演と試合、たとえ質が違うにしても「緊張する」ということではなんら変わらない。僕は、講演を前にして感じている「緊張」への向きあい方をラグビー時代に経験した方法に模している。そのことに気づいて、おれはやっぱりどこまで行ってもラグビー体質であり、これは恐らく死ぬまで抜けるものではないのだなあと空を見上げながら感じていたのだった。

ラグビーから得たものは僕の知らないところで骨肉化している。だとすれば僕の身体は意識が明らかにする身体よりかなり賢いはずである。意識つまりことばで規定される身体よりもかなり賢いことは間違いないだろう。だからあれこれ考えて悩んで、それで行き着いた自分もしくは身体は、「規定する自分よりも幾分かは必ず賢い」ということになる。たぶんこの微妙な差異が「自信」につながっていくのだろうと思う。

なんとも難しい話になってきたな。
というところでこの話はまた今度ということで。

とにもかくにも講演では楽しく話させていただいたということが、
今日は言いたかったのでした。

最後にこの場を借りてお礼を。
お呼びいただいたトレーニングセンター長の村田先生、ありがとうございました。また、声をかけていただいた佐々木先生には心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。講演会までのやり取りをし始めてから昨日の講演会までいろいろと話をさせていただいて、なんだか親近感を感じてしまっています。できれば今後ともよろしくお付き合いください。「バガボンド」の話ももっと深くしたいものですね。
講演が終わった後の打ち上げもとても楽しく食べて飲むことができました。お付き合いいただいたトレセン勤務のトレーナーの方々、本当にありがとうございました。
また身体について熱く語り合いましょう。
みなさま本当にありがとうございました。