平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「言葉と感覚は相容れない」という問題を考えてみる。

春休み中の部活は基本的に午前中なのだけれど、今日はどうやらバスケットボール部が合宿をしているようで、昼を過ぎてもドリブルの音やかけ声が聞こえてきている。体育館の2階にある僕の研究室は、だから今も少々騒がしい。ここのところ出張続きで、差し迫る予定がなく一日中研究室にいて研究業務に携われる日がなかったので、少し騒がしい環境であってもこうしてデスクに座って学会発表の準備やそれにかかわる文献を心おきなく読むことができる今日という日が、なんだかとても懐かしく思える。

「読んでおいた方がよい本」、いや「読んでおかなければならない本」を読んでいると、つい「読みたい本」に目移りしてそちらを読み耽ってしまうことが往々にしてある。がしかし、「研究する」という道程にはそんな寄り道が含まれてなければ面白くないと僕は思っているので、現在進行中の読みかけの本の存在を気にしつつも面白そうだからと、アマゾンやジュンク堂で購入したたくさんの本がたくさん立て掛けられている研究室にいるだけで、もうそれだけでなんだか楽しげな気分になってくる。立て掛けられたある本の背表紙が「オレは面白いぞー」と目で合図してくるのがわかるから、そうした数々のお誘いを「いや、今は夢中に読んでる本があるから…」と名残惜しげに断りながらせっせと読んだり書いたり。

たぶん僕はこうした研究業務が性に合っているんだと思う。
そんな研究体質になったのはいつからだろうとふと思い返してみても直接的な出来事が思い当たらず、ラグビーを引退するきっかけとなった脳震盪の後遺症という不明確な病を患ったことかなと目星をつけて考えてみても、なんだか違うような気もするし、よくわからない。

ちょっとそのあたりを考えてみよう。

そもそも体質というものは、オセロみたくひっくり返せば黒や白に一変するようなものでもないだろうし、たとえある時を境に大きく変わったのだと仮定してみても、そこからはそれなりの時間を要しただろうから、僕の研究体質はここ数年のあいだにつくられたとは考えにくい。だから、たぶんもともとがあれこれと考える性格だったのだろうが、そのあたりは中学高校大学時代の友達に詳しく訊いてみないことにはわからないわけで、僕自身には与り知らぬ領域で起きていた出来事なのであろう。

なんてことを考えているのには理由があって、それは「言葉と感覚は相容れない」という問題に性根を据えて取り組んでいるからである。中高生へのラグビー指導を、また大学ラクロス部への指導を通じて感じているのは、まさにこの問題であって、彼や彼女たちがパフォーマンスを高めていく上で言葉は必要であって必要ではない。言葉は、感覚を養うための拠り所にはなっても、直接的なパフォーマンス向上にはつながらず、場合によっては邪魔になりさえする。なぜなら、ラグビーラクロスというスポーツには立ち止まって考える時間が少なく、プレーが継続する中で判断を繰り返しながら身体を動かさなければならないからである。脳が介在することのない非中枢的な身体運用(@内田樹)が求められるのである(この非中枢的な身体運用は、これらのスポーツだけに限らず、またスポーツという枠内だけにとどまることはなく、全人的な問題として考える必要がある、たぶん)。

それはつまり、熱い鍋を不注意で触ってしまった手を引っ込める動きや、躓いたときにこけまいとしてもう片方の足を出したり手を突いたりする動作のことである。こうした動作を直接的に表現するとすれば、長嶋監督が言うところの「すーっときたボールをパーンというタイミングで」というような物言いになる。監督本人からすれば十分過ぎるほどに把握しているからどうしても曖昧な表現にならざるを得ないのであるが、聴かされる方にすればたまったものではない。はっきり言ってなんのこっちゃわからん、であるし、それでできれば世話ない、である。

でも、これが感覚の正体である。

相手が自分の右側にステップを切ったときは慌てないで右肩を合わせながら相手の腰あたりをしっかりと見てタックルに入り、肩を当てた後は足をかいて押し込む、なんていう細かな指摘を、実際にプレーしている最中に考えていられるはずもない。「考えている」ということそのものが非中枢的な身体運用ではないわけで、だから「言葉と感覚は相容れない」のである。

じゃあスポーツの上達に言葉は必要ないのかというとそんなわけはなくて、コツをつかむためには言葉を拠り所にしてあれこれと試みていく他はないのが実情だ。とくに動作を質的に高めていくためには言葉は不可欠なものとなる。生まれ持った能力(一般的に「運動神経」と呼ばれているもの)で到達できるレベルは限られていて、そこからさらなる飛躍を求めるならば言葉による感覚理解とそれに伴う想像力がなくてはならない。

つまりね、僕がいつから研究体質になったのだろうという問題を僕自身が興味深く感じたのは、感覚重視でプレーしてきた時期から言葉重視の研究体質に移行したタイミングはいつだったのかを知りたかったわけで、この問題は身体論として論じるには面白い材料になるなと、感じたからである。おそらく現役の時は(とくに大学くらいまでは)、コーチの指導を諳んじながらもどこかいい加減に受け流しつつプレーしていて、「そんなこと言われても試合中はどんな状況が訪れるかわからへんねんから好きにしーよおっと」と思ってた。それがいつからか、場面場面での取り決めを理詰めで整理しつつグラウンドに立つようになった。たぶん、神戸製鋼というチームに入り、勝たなければならないプレッシャーの中でプレーするようになってから徐々にそうなっていったのだとは思うが、こうした感覚から言葉へ移行しつつプレーしたという経験を、引退した今になって少しずつ少しずつ解釈していく作業は、ちょっと面白いのである。それはつまり、今までどれだけ感覚だけでやってきたかの証左でもある。

自らの感覚に頼り切っていれば難なくできるプレーを、細部にわたって言葉で説明してそれを頭でじっくり理解すれば、パフォーマンスは確実に落ちる。だから現役スポーツ選手は言葉での説明を極力避けようとする人が多いのだと思う。本能的な能力に優れていたからスポーツで食っていけているわけで、だからパフォーマンスを下げるようなことも本能的に忌避する傾向にあるのだろう。僕はそう思う。

ただ、スポーツ指導者の資質には言語運用能力が必要不可欠である。もうこれだけは避けて通ることはできない問題だと断言させていただく。現役時代に身についた感覚のあれこれを少しずつ言葉で置き換えていくこと。それをせずにして、選手にアドバイスをすることなどできないんじゃないかと僕は強く思っている。自分が身につけたあらゆるスキルや感覚すべてを言葉にして、それを理論で伝えるというわけじゃなく、感覚というものを言葉で理解することにより見えてくるものがあり、そうして明らかになったあれこれを腹に据えておかないと自信を持って指導することなどできないと思うのだ。

というところまでややこしく考えたら、僕は研究体質が性に合っているのかどうなのかがわからなくなってきた。もともと感覚重視でラグビーしてきて、いつの間にか言葉による研究体質になったみたいな感じになって、それでもまだカラダを動かすことは好きでそれなりに動けると自負していたりもする。敬愛する甲野善紀先生と内田樹先生は、こうした言葉と感覚の問題を「感覚的に考えて」おられるように思っていて、だから僕は敬してやまないのだが、その境地を垣間見るに至るまではまだまだ乗り越えなければならないあれこれが眼下に広がっているのだろうなと直感している。

おそらく「言葉と感覚は相容れない」という問題は、僕が死ぬまで考え続けても答えが出ない問題であることに間違いはなく、それはそれは気が遠くなるような作業であるわけだけれども、逆に考えれば一生をかけて取り組めるものを見つけることができたわけであり、それは僕にとっては確かな安堵なのである。「いつか引退する時がくる」ことにどこか恐れを抱いていた現役時代に比べれば、とても安心できる。

てなわけで今日のブログもこねくり回したような思考の軌跡になってしまったけれど、時を重ねるごとにもう少し明らかに、そしてわかりやすくなっていくであろうことを期待しておいていただければ、これ幸いかと。

さあ、帰ろう。