平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「体育会系」身体観測第72回目。

 4回生は神様で3回生は人間、2回生は奴隷で1回生は空気。これは、「体育会系」におけるタイトな人間関係を表した一つの比喩である。私自身はこれほどまでに理不尽な環境でプレイした経験はないので、この比喩が現実なのかどうかを体感的には判断できないが、過去にチームメイトから聞かされた数々のエピソードをつなぎ合わせればこの世にそのようなチームが存在していることは断言できる。エピソードの中には俄に信じがたいほど悲惨なものもあり、指導者や環境に恵まれた我がラグビー人生を振り返っては安堵することしきりである。

 比較的ぬるい環境でラグビーに取り組んできたとは言っても、酒の席で火の点いたタバコを腕に宛がわれるくらいのことは経験している。頭に血が上るのを抑えつつ、おちゃらけながら笑いを浮かべてみせたあの時の自分を今でも苦々しく思う。その後お酒が進んでからその先輩に食ってかかってみたものの、それくらいでは一度卑屈になった自分自身を許せるはずもなかった。さらに追い打ちをかけるのは、当時その先輩がグランドの上では抜群のパフォーマンスを発揮していたという事実で、力に屈服した弱さを突きつけられてやり場のない怒りとやるせなさが芽生えたのを覚えている。

 私はどこからどう見ても体育会的に育ってきた人間である。たくさんの仲間をつくることができたこれまでの道程はかけがえのないものである。しかしながらこれまでの道程をまったくの手放しで礼賛することができずにいるのも事実なのである。

 絶対服従な上下関係、狭義な競技能力による階級制度、そこから去る者を弱者呼ばわりする閉鎖性、がさつさを豪放磊落な様と勘違いした武勇伝的言説。「体育会系」にはこれら悪しき慣習がつきまとう。今日まで従順な身体の育成を目的にしてきたスポーツ・体育の根本的な見直しが急がれる。

(09/05/19毎日新聞掲載分)