平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

我が師の式に参列して。

先週末は我が師ウチダ先生の結婚式であった。
ラグビー的人生も終焉を迎えつつあったあの頃にご縁を頂き(アオヤマさんから借りた『ためらいの倫理学』を奇貨として)、爾来師匠と仰いできたウチダ先生がご結婚される日ということで背筋を伸ばして式に参列したのである。

列席者で埋め尽くされた厳かなるチャペルに身を置き、いつもよりも少しカタめな表情の先生を眺めていると何だか不思議な気持ちになった。周りを見わたせば、ウチダブログにちょくちょく登場するあの面々がいて、「あの人は確か鈴木さんであの人は確か○○さんで・・・」という風に、ほぼ当てずっぽうに顔と名前を一致させたりもしていた。いつもながらの麻雀仲間たちを見つけてホッと一息ついたり。そんなこんなのうちに新婦が入場してきて式はとりおこなわれたのだった。

平川さんがブログに書いていたけれど、ホテル内に設置されたとってつけたようなものとはほど遠く、荘厳で神秘的な雰囲気のあるチャペルでの式はとてもよかった。なにがよかったのかと訊かれても、ただよかったとしか答えることはできない。式が終わり列席者が退場する段になっても、もう少しだけ座っていたいなと思わせる何かがそこにはあった。凛々しく歩く新婦の奈王子さんは思わず見とれてしまうほどに美しく、先生と二人で歩く姿にはいつまでも視線を送っていたい気持ちになった。

とにかくよかったのである。じーん。

ホテルオークラで行われた披露宴も、これまた凄かった。次々とご高名な方々がスピーチされて、びっくらこいた。とは言っても、これまで先生とお付き合いする中でうかがったことのある名前や実際に面識のある方がほとんどだったから、(ブログを読んで僕が勝手に知っているだけという人もいるが)、驚いたのは名前や肩書きにではない。スピーチの仕方と内容である。アオヤマさんがブログで既に書いている通り、一般的に披露宴ではあれほど苦痛に感じられるスピーチがちっとも苦にならないのである。次は誰が話すのであろうという期待すらも抱いてしまうほどであった。

煌びやかに彩られた文章がすっかりお気に入りの鷲田先生による生スピーチには、個人的にちょっと感動した。あの人があの文章を書くのかあと、その時だけはその場が披露宴であることを忘れていたように思う(先生、すみません。)。

高橋源一郎さんの姿をお見かけして、「テレビで見る姿と同じだー」と一人勝手に思い出していたのはいつかの競馬中継である。競馬は結構若い頃から嗜んでいたもので、高橋さんが出演している競馬中継は前のめりになって見ていたのである。確か当時は、「げんいちろう、また外してるで」と仲間内でよく話をしていた記憶がある(すみません、偉そうに)。馬券を外しても笑みを浮かべながら話をされる姿がとても印象に残っているのだが(と同時にこの人は何をしている人だろうという疑念も抱いていた。まさか作家さんだなんて思いも寄らなかった)。

列席者同士が「お久しぶりです、元気にしてましたか?」「あなたがあの○○さんですか!」などという会話で盛り上がるのは、ウチダファミリーだからこそで、そうした温かさに包まれた披露宴だったように思う。ほんわかした雰囲気が漂うふくよかな宴に、すっかりと身も心もとろけてしまうかのようだった。我らがウチダ先生のお人柄が滲み出た式&宴で、本当にいい一日を過ごさせていただいたように思う。

ウチダ先生、奈王子さん、本当におめでとうございます。これからも背中を見つめながら歩んでいこうと思いますので、末長くお付き合い下さいませ。

そして、友人の一人に数えていただいていることには言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。弟子と心得ている身としてはいささか照れ臭い部分もありますが、あまりこぢんまりとしないようにあれこれやっていきたいと思っております。なんだか個人的な告白になってきてしまいましたが、とにかくおめでとうございました。