平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「夢中になるってこと」身体観測第74回目。

 神戸親和女子大学では、生涯学習の場と位置づけた地域に向けての公開講座を開講している。この中に小学生を対象とした地域交流プログラムがあり、全16回の内のいくつかを担当することになっている。ちょうど4回目となる今回のテーマは「敏捷性」であった。

 対象が小学生ということでできる限り「遊び」に近づけてみようと考え、鬼ごっこをメインにした。アシスタントの学生が代わる代わる鬼になり、バレーボールコートほどの広さの中を子どもたちは必死の形相で逃げ回る。嬉々として走り回る子どもたちの姿に、私の目は否応なく釘付けとなった。

 鬼に捕まるまいとして振る舞う際の実にしなやかな身のこなし。エリアの角に追い込まれたときの、わずかな隙間を探るべく研ぎ澄まされた集中力。鬼が走るコースを予測してのアングルチェンジとチェンジオブペース。鬼から逃げることに夢中になっているその時の伸びやかな子どもたちの動きは、思わず笑みがこぼれるほどに生き生きとしていた。

 そんな様子から、特定の能力を引き出して鍛えようとする大人の思惑が、いかに無駄な努力であるかを突きつけられた気がしている。時間感覚が消滅して今この瞬間に浸りきる、すなわち「夢中」になることでどれほどの身体能力が高まるかは計り知れない。「次、何やるん?」とまとわりついてくる子どもたちの、好奇心に充ち満ちた笑顔が、それを如実に物語っていた。

 スポーツ科学の発達に伴い、様々な運動プログラムが開発されている昨今だが、古来から伝承されている「遊び」は実に示唆に富む。その昔、私が得意としていたステップワークの上達は、鬼ごっこをするだけで十分に事足りるだろう。そして何よりも遊びは楽しい。だから「夢中」になれる。科学的でなくてもいい。子どもが夢中になれる環境作りに、もっと「夢中」になってみたいと思う。

<09/06/16毎日新聞掲載分>