平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

久方ぶりの更新にござります。

ブログをすっかり放置しているあいだになんと7月に突入してしまった。2009年も折り返し地点を超えて、これからは終わりに向かってゆっくり時を刻んでいくのかと思うといささか感慨深くなる。しかしながら「2009年度」で考えればまだ半分も経過していないわけだから(春学期もまだ終わっていないわけで)、そのあたりの時間認識のズレが「折り返し地点を越えたこと」への実感を乏しくしているものと思われる。ここんところはようやく梅雨らしい天気になってきて、季節感というものが感じられていいと言えばいいのだが、湿気が高くジメジメした気候は否応なく身体の調子を左右する。左肩と右の腰から背中にかけての古傷が痛むことはもちろん、なんとなく気分が落ち込み気味になるからいただけない。先週の半ばがピークであった。この週末をゆっくりと過ごしたことで何とか回復の兆しがみえつつあるので、残りの春学期を何とか乗り切っていこうと思う。7月半ばに「水泳実習」という大きなイベントがあるので、それさえ無事に終わってくれればと願ってはいるのだが。

この週末は概ねゆっくり過ごすことができたとは言っても、土曜日の昼間に講演を頼まれていたので、それが終わるまでは準備に追われてバタバタと慌ただしかった。大阪高体連ラグビー専門部、専門委員・顧問研修会で話をする機会を頂いたのである。中学・高校時代のラグビー部でお世話になった清鶴先生から「ちょっとしゃべってくれへんか?」と電話をいただいたのが6月の半ば。大学の先輩にも当たる先生からの誘いを断れるはずもなく(もちろん断るつもりは毛頭なかったのだけれど)、「わかりました」と返事をしてから内容を詳しく聞いてみると、なんとラグビー部の顧問をしている大阪府下の高校の先生が対象というではないか。想像してみると脇の下に汗が滲み出てくるような緊張感に包まれたが、今さらやめるわけにもいかず「やるしかない」と決意を固める。

そこからあれこれと話す内容を考えるも、結局のところこれまでの経験から僕が感じたことと現在研究している内容を結びつけて話す以外にはなく、つまりは「身体」についてのあれこれについての話をすることにした。だって、指導現場に立たれている先生方に向かって話すわけですからね。どちらかと言えばスポーツ教育についての話を僕が訊きたいくらいです。ほんとに。

とまあそんなこんなで当日を迎えたわけだけど、脳震盪の後遺症を患って引退を決めるまでのたうち回った話や、そののたうち回って苦しい時期に内田樹先生と甲野善紀先生と出会って身体そのものへの価値観が変わっていった話や、武術的な視点でスポーツを考えていけば面白いんじゃないかという話を「居着き」という概念から解説してみたり、スポーツ現場で横行しているスポーツ科学の不毛さについてをまくし立ててみた。今のスポーツ界に対する批判的な視点と僕の拙い話し方がブレンドされたせいもあるのか、手応えとしてはイマイチだったのがとても残念ではある。もう少し上手く話せるようにならないとなと思う反面、僕が研究しようとしている「身体性」は言葉になりにくい領域だったりするからもっと具体的な物語を用いて表現していかないといけないとも感じる。いずれにしても体制迎合的な語り口にならないようにだけは気をつけようと思う。感じるところとそれに基づいて思考したことにだけはどうしたって嘘をつきたくはないし、つかない。

いずれにしても想いや考えを理解してもらうのは一筋縄ではいかない難しい作業だし、人前で話すのはとても大きなエネルギーを必要とする。なので、講演後は疲れの塊が一気に顔を覗かせてグッタリとなり、お世話してくださった先生方への挨拶を済ませた後はそそくさと会場を後にしたのだった。帰りがけに遅い昼食をとろうと喫茶店に入りオムライスを注文する。枯渇したエネルギーを充填すべく頭の中を空っぽにしながら食後のアイスコーヒーを飲んでると、回復の兆しが訪れる。ここでようやくホッと一息を着くことができた。ふう。

そこからしばらくして、ちょうど研修会に参加していた同志社香里時代の同級生から連絡が入る。せっかくやから研修会が終わってからお茶でもしよかという約束をしていたのである。そこから1時間ほど教育談義に花が咲く。そこでも枯渇気味のエネルギーが少しばかり充填されたようで、おかげで背筋が伸びた状態のまま帰路につくことができたのであった。

さてさて、また明日から1週間が始まる。一日一日、一瞬一瞬を粛々と過ごしていこうと思う。『1Q84』を読み進めつつある今だから余計にそのように感じてしまっていることはさておき、日々を淡々と過ごしていきたい。