平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「オレのアホー」なのだ。

何事もなかったように1週間が始まった。
いや、何事もなかったように思えるのは僕の身辺に限ったことであって、都議選で自民党が歴史的な惨敗を喫して過半数割れを起こしたり、阪神タイガース自力優勝が消滅したりと、世間はいろいろと騒がしいようである。タイガースファンではないので(まあ俄かファンではある)、自力優勝が消滅しようがそんなことはあまり気にならないけれど、都議選の結果はやはり少し気になる。これから麻生降ろしの動きが加速してゆくのだろうが、次の自民党総裁ならびに首相が誰になるのかに想像を及ぼせば期待感が膨らむことはない。いやはやどうなることやら。

数日前の新聞で目にしたのは、中国で13階建てのマンションがそのままパタンと倒壊した写真である。まるでレゴブロックを思わせるように倒れている様が脳裏に焼き付いている。「こんなことってあるんや…」としばらく呆然とするも、日本でもクレーン倒壊事故が頻発している昨今が思い出されて「あるかもねー」とあっさり理解するに至る。構造計算とか地層の具合とか、何とかかんとか、きちんと計算した上で建てたんとちゃうん?クレーンにしたってそうでしょ?クレーンに関しては、これだけ頻発すると何だかそのあたりを疑ってみたくもなるってなものだけど、どうなんやろう。予測の範囲を超えた自然現象によるものなのかもしれないけれど、自然現象はいつの時も予測の範囲を超える可能性があるわけだからさ。

こうした事件を聞きつけると、細かなところの大切な部分が失われつつあるような感じで、どうにも陰鬱になってしまう。当たり前のことが当たり前でなくなりつつある気配に、ニンともカンともである。

というお前はどうなんだ、当たり前のことを当たり前に行っているのかと突っ込みを入れられると「あわわわ」となったりもするが、身の丈に合わないことだけはしないように心がけておりますと、言い訳するしかなくなるのだけれど。堪忍。

そうなんだよな。当たり前のことを当たり前に行うというのは思いのほか難しくて、ついできもしないことに挑戦しようとして、「達成できなさ」という手応えを感じて自分は頑張っているんだと思い込む。「ほら、こんなにやってますよ」という気分はざっくりとして充実感を伴う手応えが得られるし、最初からできもしないことだから結果を出すことへのプレッシャーをそれほど感じなくて済むわけで、楽である。だから、ともすればできなさそうなことを自ら積極的に選んでいる節もあって、そんな自分に気づいてガックリくる。「オレのアホー」となる。

それと、気になることには何でもかんでも首を突っ込むものだから、誰もそれもあれもこれもを抱え込むことになって、いとも簡単にキャパシティを超えてグッタリする。ものごとを知ってしまうと、そのものごとに対する責任が生じる。僕自身の意識はそのものごとに向けられることになり、あるときにふと考え込んだりして、気になり始めるともうどうにもとまらない状態になってエネルギーを消耗する。「ちょっとしたお節介」にとどまるならばそれはそれでいいような気もするのだけれど、その範疇を超えてどっぷり首を突っ込むからダメなのだなと思う。で、肝心要の仕事が疎かになるのだよ、ホントに。

またもや「オレのアホー」である。

半生を振り返ってみれば、こうしたおっちょこちょいぶりは僕の性格によるものだなと思うところと、ラグビー生活で培ったものだなと思うところと、ちょうど半分半分である。いや、祖母と母親の言動を顧みてみると遺伝によるところも少しはあるかもしれないとも思える。たぶんね。

すぐになれるわけがない理想的な大学教員像を思い描き、それと今の自分を比較して要らぬストレスを溜めていたのかもしれない。無意識のうちにプロトタイプの大学教員像を目指していた、という部分も無きにしも非ずだ。知らず知らずのうちに、というよりもいつかのある時点で自らに仕掛けた意識の縛りが、たぶん今の僕という姿を形作ったのだと思う。このブログに書くこともどこかで必要以上の自主規制を掛けていたように思う。学生や職員や教員が読むかもしれないからいい加減なことは書けないぞ、という風に。

そのあたりの頑なさはもうやめにしよう。「やめよう」という意識だけですぐに変われるとは思っちゃいないが、今の僕がいつかのある時点での強い自覚意識によって作られたと仮定するならば、その意識の縛りを取り除いて異なる自覚意識を持つことにも何らかの意味がある。そういうことだ。

「オープンマインド」でいこう。今日の内田先生のブログにもそう書いてあったし。


と、いうようなことをふと書きたくなったのは、アオヤマさんのブログに出てきた「マジ男子」という言葉に思わずドキリと反応したからである。そのことを最後に告白しておいて筆ならぬ指を置くことにする。

さて今日は何を食べて帰ろうか。