ミスターシービーって感じで〜「痛み」のお話。
水泳実習という大イベントを終えたことで気持ちが緩んだのか、
声はかすれるわ、口内炎はできるわで、
てんやわんやなオレの身体である。
顔面と足先と手先の過度な日焼けもおそらくは影響しているのだろう。
確実に僕の身体は疲れている。
然るに少しスローなペースで生活する必要がある。
多少の無理はしても「無茶」はしないと誓ったあの時を思い出して、
行きたがる追い込み馬をなだめすかす騎手のように手綱を抑えよう。
何といっても身体はひとつしかないのだから。
そうなのだ。
手綱を抑えようと意識しておかないと、
昔からの癖でついつい力んでしまうのである。
元来が格好つけな性格なもので、
できもしないことにも首を突っ込んでしまって身体が消耗し、
その結果として周囲に心配や迷惑をかけてしまう。
「脳震盪の後遺症」は一朝一夕に発病するようなものではなくて、
それまでの「無茶」が積み重なった結果なのだろうなと思っている。
最近になってこの思いは確信を帯びるようになってきた。
現役時代は皆様もご存知の通り僕はケガの多い選手だったし、
大ケガも小ケガもたくさん経験してきた。
そのケガの度に多少の「無茶」をしてきたことは否めない。
医者から下された完治までの期間を大幅に短縮し、
テーピングで固定してグラウンドに復帰したり、
脳震盪と診断されながらも翌週の試合に出場したり、
挙げ句の果てには骨折箇所がまだ完全にくっついていないのに、
固定具をつけたまま試合に出たりと、
まあ思い返してみれば相当な「無茶」をしてきたわけである。
今、思い返せばなんて愚かしい身体への接し方をしてきたのだと
ほぼ自己嫌悪に陥ることは免れないのだけれど、
当時は痛みを押してプレーすることに
ある種の充実感を感じていた節もあったから、
それほど気に留めることもなかった。
「痛みに怯まないオレはこんなにも強いのだ」というような自己陶酔が、心のどこかにドカンと腰を下ろしていたのである。
そんな自己陶酔を促したのは、
たぶん僕が「痛み」に弱い人間だからだと思う。
現役時代を振り返ってもそう感じるし、何より一緒にプレーしてきた先輩後輩同期もおそらくはそう感じていることと思う。
でもさ、痛いもんはやっぱり痛いってなもんで、
どれだけ周りから大丈夫だと慰められたところで
「痛み」そのものが軽減することはない。
とかく「痛み」なんてものは主観的な産物で、
「痛み」そのものを客観的に測れはしない。
だから共感などできるわけがない。
同じ捻挫であってもその程度によって感じる痛みは変わるし、
打撲にしても箇所によっては大ケガという扱いになる。
ごく当たり前のことだ。
「痛み」ということを考え始めるととめどなく考え込む自分がいる。
そのときにまず頭に思い浮かぶのは、あのケガの経験である。
ある試合中に右腕橈骨を骨折したとき、
受傷から30分が経たないとまるで「痛み」を感じなかった。
外見からは明らかに折れているのが分かるのに、「痛み」が全くない。
それがなぜなのか、もちろん今になってもよくわからないでいるが、
とにかくそういう経験をしたのである。
この経験が僕に教えてくれたのは、
「痛み」というのは完全に個人的なものであるが故に、
ほとんどをコントロールできるということである。
おそらく、車通りの多い道に飛び出そうとしている幼い我が子を助けようとした母親は、たとえ足を骨折していてもその瞬間は痛みを感じることなく走り出せる。
これは実際に起こったことではないが、
こうしたケースは起こり得るのだと僕は思う。
(たぶんに無意識的であることは否めないが)
ただ、だからといって、すべての「痛み」は心で乗り越えられるものであるとするには早計だとも思う。
「痛み」は、人間が生存していく上で獲得した大切な感覚である。
「痛み」を全く感じない人は、
机の角に足の指を引っかけて爪が剥がれても気付かない。
大量の血が流れ出したことに気付かず、やがて致死量に至れば死ぬことになる。
少し大げさだがそう言うことである。
「痛み」は、人間の生存戦略上なくてはならない感覚である。
それ故に「痛み」を消すには相当なストレスが身体には生ずる。
だから、肝心要の時以外はむやみやたらに我慢したり、
克服しようとしない方がよい。
ここぞと言うとき以外はできることならば身体を休めた方がよい。
どんなときでも「大丈夫!大丈夫!」と心で乗り越えようとすれば、そのしっぺ返しは必ず身体に返ってくる。身体は無限ではない。
さて、身体の「痛み」の関係について、もう少し踏み込んでみよう。
わずかな「痛み」や変調を感じられる身体は、
異変に気付いて素早く対処ができるわけである。
その点で、「痛み」を感じやすい身体は賢い。
だから社会的に“痛がり”だとレッテルを貼られている人の中には、
実のところ繊細な身体を有している人がいるかもしれない。
でも、どんな状況に置かれても痛がる身体は生存戦略上よろしくない。
先に書いた右腕橈骨骨折にたとえてみると、
受傷した瞬間にもの凄い痛みが伴ってそこから逃げられなければ、
グラウンド上は他の選手と接触する可能性もあり更なる危険が襲う。
だから、ひとまず安全な場所に移るまで脳が「痛み」の回路を遮断し、
もう安全だということが確認された時点で「痛み」の回路が回復する。
右腕をアイシングしながら病院に辿り着いたときに襲った、
冷や汗がにじんでくるほどのあの「痛み」は忘れられない。
つまり、物理的に身体が傷めば自動的に「痛み」が生じるわけではなく、人間の生存戦略上有利に働くように「痛み」は大きくもなるし消えもするということである。
こうした「痛み」の意味すらも考えようとはしなかったあの頃の未熟な僕は、「痛み」という尊い感覚を根性のバロメーターとしてしか理解してなかった。
とにかく我慢することにより、その程度に応じて根性が示される。
そうとしか考えていなかった。
あー、情けない。
そんな高圧的な態度で身体に接していたものだから、
ケガをする度に細かな歪みが身体に刻まれていき、
その結果、「脳震盪の後遺症」などという不治の病を抱え込むことになったのだ。
生まれてこの方、いや少なくともラグビー生活19年間は、
自らの身体に対してかなり冷たく接してきたと言える。
ことば足らずな態度で無理強いをさせてきた。
つまり手綱を抑えるというのは、
そうした態度を改めようという意志の表れなのである。
そうでもしないと長年培ったこの態度は改められやしない。
決して甘やかそうとは思っちゃいない。
でも労いたいとは思う。
身体を動かしたくて動かしたくてたまらなくなるその日までは、
心ゆくままにゆっくり休んでいただこうと、そう思っているのである。
しかしながらそうは問屋が卸さない日常でもあるわけで、
結構たいへんな身体を抱え込んでいるにもかかわらず、
元ラグビー選手で年齢もまだ30代前半ということで、
皆様なかなか手荒く扱ってくださる。
見た目には元気そのものだから、ま、その辺は仕方がないかもしれない。
逆に気を使われてしまうと「大丈夫です!」などと張り切るだろうし、
世間を生き抜くにはそれなりの術が必要ってことなんでしょう。
とにかく今は殿から追走する心持ちでのんびり構えることにして、
直線一気の末足をため込むことにしておきましょう。
テレビ馬にはなりません(笑)。
声はかすれるわ、口内炎はできるわで、
てんやわんやなオレの身体である。
顔面と足先と手先の過度な日焼けもおそらくは影響しているのだろう。
確実に僕の身体は疲れている。
然るに少しスローなペースで生活する必要がある。
多少の無理はしても「無茶」はしないと誓ったあの時を思い出して、
行きたがる追い込み馬をなだめすかす騎手のように手綱を抑えよう。
何といっても身体はひとつしかないのだから。
そうなのだ。
手綱を抑えようと意識しておかないと、
昔からの癖でついつい力んでしまうのである。
元来が格好つけな性格なもので、
できもしないことにも首を突っ込んでしまって身体が消耗し、
その結果として周囲に心配や迷惑をかけてしまう。
「脳震盪の後遺症」は一朝一夕に発病するようなものではなくて、
それまでの「無茶」が積み重なった結果なのだろうなと思っている。
最近になってこの思いは確信を帯びるようになってきた。
現役時代は皆様もご存知の通り僕はケガの多い選手だったし、
大ケガも小ケガもたくさん経験してきた。
そのケガの度に多少の「無茶」をしてきたことは否めない。
医者から下された完治までの期間を大幅に短縮し、
テーピングで固定してグラウンドに復帰したり、
脳震盪と診断されながらも翌週の試合に出場したり、
挙げ句の果てには骨折箇所がまだ完全にくっついていないのに、
固定具をつけたまま試合に出たりと、
まあ思い返してみれば相当な「無茶」をしてきたわけである。
今、思い返せばなんて愚かしい身体への接し方をしてきたのだと
ほぼ自己嫌悪に陥ることは免れないのだけれど、
当時は痛みを押してプレーすることに
ある種の充実感を感じていた節もあったから、
それほど気に留めることもなかった。
「痛みに怯まないオレはこんなにも強いのだ」というような自己陶酔が、心のどこかにドカンと腰を下ろしていたのである。
そんな自己陶酔を促したのは、
たぶん僕が「痛み」に弱い人間だからだと思う。
現役時代を振り返ってもそう感じるし、何より一緒にプレーしてきた先輩後輩同期もおそらくはそう感じていることと思う。
でもさ、痛いもんはやっぱり痛いってなもんで、
どれだけ周りから大丈夫だと慰められたところで
「痛み」そのものが軽減することはない。
とかく「痛み」なんてものは主観的な産物で、
「痛み」そのものを客観的に測れはしない。
だから共感などできるわけがない。
同じ捻挫であってもその程度によって感じる痛みは変わるし、
打撲にしても箇所によっては大ケガという扱いになる。
ごく当たり前のことだ。
「痛み」ということを考え始めるととめどなく考え込む自分がいる。
そのときにまず頭に思い浮かぶのは、あのケガの経験である。
ある試合中に右腕橈骨を骨折したとき、
受傷から30分が経たないとまるで「痛み」を感じなかった。
外見からは明らかに折れているのが分かるのに、「痛み」が全くない。
それがなぜなのか、もちろん今になってもよくわからないでいるが、
とにかくそういう経験をしたのである。
この経験が僕に教えてくれたのは、
「痛み」というのは完全に個人的なものであるが故に、
ほとんどをコントロールできるということである。
おそらく、車通りの多い道に飛び出そうとしている幼い我が子を助けようとした母親は、たとえ足を骨折していてもその瞬間は痛みを感じることなく走り出せる。
これは実際に起こったことではないが、
こうしたケースは起こり得るのだと僕は思う。
(たぶんに無意識的であることは否めないが)
ただ、だからといって、すべての「痛み」は心で乗り越えられるものであるとするには早計だとも思う。
「痛み」は、人間が生存していく上で獲得した大切な感覚である。
「痛み」を全く感じない人は、
机の角に足の指を引っかけて爪が剥がれても気付かない。
大量の血が流れ出したことに気付かず、やがて致死量に至れば死ぬことになる。
少し大げさだがそう言うことである。
「痛み」は、人間の生存戦略上なくてはならない感覚である。
それ故に「痛み」を消すには相当なストレスが身体には生ずる。
だから、肝心要の時以外はむやみやたらに我慢したり、
克服しようとしない方がよい。
ここぞと言うとき以外はできることならば身体を休めた方がよい。
どんなときでも「大丈夫!大丈夫!」と心で乗り越えようとすれば、そのしっぺ返しは必ず身体に返ってくる。身体は無限ではない。
さて、身体の「痛み」の関係について、もう少し踏み込んでみよう。
わずかな「痛み」や変調を感じられる身体は、
異変に気付いて素早く対処ができるわけである。
その点で、「痛み」を感じやすい身体は賢い。
だから社会的に“痛がり”だとレッテルを貼られている人の中には、
実のところ繊細な身体を有している人がいるかもしれない。
でも、どんな状況に置かれても痛がる身体は生存戦略上よろしくない。
先に書いた右腕橈骨骨折にたとえてみると、
受傷した瞬間にもの凄い痛みが伴ってそこから逃げられなければ、
グラウンド上は他の選手と接触する可能性もあり更なる危険が襲う。
だから、ひとまず安全な場所に移るまで脳が「痛み」の回路を遮断し、
もう安全だということが確認された時点で「痛み」の回路が回復する。
右腕をアイシングしながら病院に辿り着いたときに襲った、
冷や汗がにじんでくるほどのあの「痛み」は忘れられない。
つまり、物理的に身体が傷めば自動的に「痛み」が生じるわけではなく、人間の生存戦略上有利に働くように「痛み」は大きくもなるし消えもするということである。
こうした「痛み」の意味すらも考えようとはしなかったあの頃の未熟な僕は、「痛み」という尊い感覚を根性のバロメーターとしてしか理解してなかった。
とにかく我慢することにより、その程度に応じて根性が示される。
そうとしか考えていなかった。
あー、情けない。
そんな高圧的な態度で身体に接していたものだから、
ケガをする度に細かな歪みが身体に刻まれていき、
その結果、「脳震盪の後遺症」などという不治の病を抱え込むことになったのだ。
生まれてこの方、いや少なくともラグビー生活19年間は、
自らの身体に対してかなり冷たく接してきたと言える。
ことば足らずな態度で無理強いをさせてきた。
つまり手綱を抑えるというのは、
そうした態度を改めようという意志の表れなのである。
そうでもしないと長年培ったこの態度は改められやしない。
決して甘やかそうとは思っちゃいない。
でも労いたいとは思う。
身体を動かしたくて動かしたくてたまらなくなるその日までは、
心ゆくままにゆっくり休んでいただこうと、そう思っているのである。
しかしながらそうは問屋が卸さない日常でもあるわけで、
結構たいへんな身体を抱え込んでいるにもかかわらず、
元ラグビー選手で年齢もまだ30代前半ということで、
皆様なかなか手荒く扱ってくださる。
見た目には元気そのものだから、ま、その辺は仕方がないかもしれない。
逆に気を使われてしまうと「大丈夫です!」などと張り切るだろうし、
世間を生き抜くにはそれなりの術が必要ってことなんでしょう。
とにかく今は殿から追走する心持ちでのんびり構えることにして、
直線一気の末足をため込むことにしておきましょう。
テレビ馬にはなりません(笑)。